市指定文化財(民俗文化財)

無形民俗文化財(11件)

獅子舞(4件)

無形民俗文化財(獅子舞)一覧
名称 所在地
仁手諏訪神社の獅子舞 本庄市仁手353
今井金鑚神社の獅子舞 本庄市今井1124-1
小平の獅子舞 本庄市児玉町小平
吉田林の獅子舞 本庄市児玉町吉田林

 

仁手諏訪神社の獅子舞

仁手諏訪神社の獅子舞

 江戸時代延宝年中に仁手村領主蔭山数馬より仁手村に獅子舞が寄進されたといわれています。獅子舞は日下開山常陸角兵衛流といわれます。

今井金鑚神社の獅子舞

今井金鑚神社の獅子舞

 享保9年(1724)に社殿を再建したときに奉納したのがその始まりといわれます。京より招いた神官が伝えたといわれ、京風の雅楽や蹴鞠の仕草が取り入れられています。

小平の獅子舞

小平の獅子舞

 元禄12年(1699)に皆野町に伝わった獅子頭を成身院覚桑上人が譲り受け小平に持ち帰ったことが始まりといわれています。疫病の厄払いと雨乞い祈願で舞われていましたが、現在は春と秋の祭典の行事として春は日本神社に、秋は石神神社に奉納されています。

吉田林の獅子舞

吉田林の獅子舞

 文政9年(1826)頃に始まり、疫病の厄払いと雨乞い祈願で舞われていましたが、現在は秋の日枝神社の祭典で舞われています。

神楽(5件)

無形民俗文化財(神楽)一覧
名称 所在地
金鑚神楽本庄組 本庄市千代田3-2-3
金鑚神楽宮崎組 本庄市牧西557
金鑚神楽杉田組 本庄市四方田288-1
金鑚神楽太駄組 本庄市児玉町太駄
金鑚神楽根岸組 本庄市児玉町小平1051

 

金鑚神楽本庄組

金鑚神楽本庄組

 神川町の武蔵二ノ宮金鑚神社を中心に県北地域に明治時代に再編された13組ある神楽組の一つです。深谷の鼠八幡神社から岡部の森田組を経て、市内の諏訪町が伝承し、金鑚神社・阿夫利神社・諏訪神社等で上演しています。

金鑚神楽宮崎組

金鑚神楽宮崎組

 江戸時代より続く太々神楽で、明治15年の再編により金鑚神楽宮崎組として伝えられています。

金鑚神楽杉田組

金鑚神楽杉田組

 江戸時代より続く太々神楽で、明治15年の再編により金鑚神楽杉田組として伝えられています。

金鑚神楽太駄組

金鑚神楽太駄組

 金鑚神楽は一社相伝として古来から伝来しているもので、江戸時代の宝暦年間に、児玉地方の神楽師が入間郡勝呂郷住吉神社に伝わる古代神楽と融合させました。明治15年の再編により金鑚神楽太駄組として伝えられています。

金鑚神楽根岸組

金鑚神楽根岸組

 明治初年に大里郡用土村(現寄居町)に伝来した神楽面と装束等を児玉町小平の元石神神社の社掌根岸虎平が譲り受け、その後、根岸良平が組長となり村のものに小平に広めました。明治15年の再編により金鑚神楽根岸組として伝えられています。

万作(2件)

無形民俗文化財(万作)一覧
名称 所在地
西小平の万作 本庄市児玉町小平
元田の万作 本庄市児玉町元田

 

西小平の万作

西小平の万作

 伊勢音頭を手踊りの基本とするもので、明治21年(1888)頃に美里町広木から伝えられ明治時代末期から大正期にかけてが最盛期で、鑑札を取って各地で上演されました。

元田の万作

元田の万作

 大正初期に榛沢(深谷市)から伝えられたもので、村の若い人達によって始められ、この村で貴重な娯楽の一つとして親しまれて神社の祭礼の時に奉納されました。大正時代には主に手踊りを行い、昭和12年頃から芝居も行われるようになりました。

有形民俗文化財(16件)

 

有形民俗文化財一覧
名称 所在地
本庄宮本町の山車 本庄市千代田3-1-2
本庄泉町の山車 本庄市千代田1-6-4
本庄上町の山車 本庄市中央3-3-5
本庄照若町の山車 本庄市若泉1-1-30
本庄七軒町の山車 本庄市銀座1-6-1
本庄仲町の山車 本庄市中央1-5-2
本庄本町の山車 本庄市本庄3-5
本庄台町の山車 本庄市本庄2-6-20
本庄本町の神輿 本庄市本庄3-2-1
児玉新町の屋台 本庄市児玉町児玉137-1
児玉上町の山車 本庄市児玉町児玉40-4
児玉仲町の山車 本庄市児玉町2512-1
児玉本町の山車 本庄市児玉町1257
八幡神社能装束・能面 本庄市児玉町児玉198
長沖の庚申塔 本庄市児玉町長沖49
正楽寺の十一面観音 本庄市児玉町上真下451

 

宮本町の山車

本庄宮本町の山車

 明治15年に新調され、四輪固定式で、囃子座の上には唐破風屋根が最初からついていました。また台車とその上の構造物との間が「チャンチキ」と呼ばれる回転台で接続される特徴を持っています。人形は日本武尊です。

泉町の山車

本庄泉町の山車

 明治28年に東京の横山友治郎より購入しています。囃子座は欄間式で人形座は三重、その正面の高欄は珍しい蕨手になっています。人形は武内宿禰です。

上町の山車

本庄上町の山車

 泉町の山車と同様に東京の横山友治郎より明治35年に購入しています。囃子座の上には唐破風屋根が最初からついていました。人形は神功皇后です。

照若町の山車

本庄照若町の山車

 明治33年に東京の浪花屋庄田七郎兵衛より購入しました。当時は囃子座が唐破風の無い欄間式でしたが、現在は唐破風屋根に改造されています。人形は桃太郎です。

七軒町の山車

本庄七軒町の山車

 大正12年より町内の人たちの手で数年かけて製作されました。現在の形になったのは昭和初期と言われ、人形は数種類あり年ごとに替えていたといわれています。現在の加藤清正像は昭和8年に製作されました。

仲町の山車

本庄仲町の山車

 明治5年に原舟月により制作され、本庄で一番古い山車です。人形は木彫の龍女でしたが、明治24年に大改修を行い、人形も神武天皇を新調しました。

本町の山車

本庄本町の山車

 明治28年に購入されました。当時の人形は翁でしたが、昭和3年に石橋に変更しています。また昭和9年には破風・鬼板を改造し新たな彫刻が加えられています。

本庄台町の山車

本庄台町の山車

 明治18年に東京浅草の浪花屋七郎兵衛製作といわれています。当町の山車は宮本町の山車と同様に車軸が車台に固定され、上部が回転する形式でしたが、現在は固定されています。人形は素戔嗚尊です。

本庄本町の神輿

本庄本町の神輿

 明和4年(1767)に製作され、翌年より市神祭礼日に神輿渡御が行われました。明和12年に修理が行われていますが、旧状をよく保っています。昭和5年に新しい神輿がつくられてからは担がれることはなく、祇園際には御仮舎に飾られています。

児玉新町の屋台

児玉新町の屋台

 明治10年代の建造と推定されています。当市では珍しい秩父屋台の流れを汲むもので、秩父型屋台と児玉の山車の特徴を取り入れた児玉型屋台とでもいうべきもので、本地域では最大の屋台です。

児玉上町の山車

児玉上町の山車

 明治時代中ごろ、秩父の宮大工の手により完成したものです。秩父型屋台と江戸型人形山車の特徴を組み合わせた山車の形式であり、秩父地方と児玉地方の結びつきを示しています。

 

 

児玉仲町の山車

児玉仲町の山車

 明治25年に建造され、小前田村の大工藤井作次郎の手により完成したものです。東石清水八幡神社の例大祭の附祭りで曳き廻すために造られました。人形は神功皇后です。

児玉本町の山車

児玉本町の山車

 明治33年(推定)に建造され、秩父型屋台と江戸型人形山車の特徴を取り入れた児玉型山車です。屋根の上の人形座は一段のみとなっていますが、市街地の電線を考慮して低くしたと思われ、時代の変化に応じて山車が変化していったことを示しています。

八幡神社の能面

八幡神社能装束・能面

 社伝では雉岡城主夏目豊後守定基が神社境内に能楽殿を建立し能興行を行ったと伝えられています。江戸時代の享保年間に小宮山清右衛門が能楽を児玉に伝えたともいわれています。その後、安藤対馬守が能装束一式を奉納し、以来神社の宝物となったとしています。

長沖の庚申塔

長沖の庚申塔

 庚申信仰で作られた石仏の一つで、舟形に円形光背を持つ地蔵菩薩を主尊とする庚申塔です。銘文は摩滅していて確認できませんが、近世初期のものと推定されます。

正楽寺の十一面観音

正楽寺の十一面観音

 南北朝時代に新田義貞が戦勝祈願したといわれています。地元の武士児玉党真下氏も信仰篤く、討ち死に後は一緒に祀られたといわれています。

お問い合わせ先
教育委員会事務局文化財保護課文化財保護係
〒367-8501
埼玉県本庄市本庄3丁目5番3号
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ファックス:0495-25-1193
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