沿革

本庄市は県内有数の大規模な原始・古代遺跡の分布地域で、奈良時代前後には児玉郡が設置されており、後には児玉庄(荘園)が経営されていました。

古代末になると、武蔵七党武士団の一つ児玉党が児玉氏によって勃興します。その後、氏名(うじな)は児玉庄氏から庄氏を経て、やがて宗家(本家)は本庄氏を名乗るようになります。その本拠は、上越新幹線本庄早稲田駅の東方一帯で、現在も字東本庄の地名が残されています。

児玉地区では、戦国時代に山内上杉が雉岡城を築城したと言われ、後に城下に営まれた家臣団を中心とする町屋が町の興りとされています。
本庄地区では、弘治2 (1556) 年に、本庄宮内少輔実忠が、現在の市役所周辺に本拠を移動し、本庄城を築きました。その城下には本庄村ができ、江戸時代になると中山道の整備とともに、「本庄宿」が建設されました。天保14(1843)年には、人口4,554人、1,212軒を数える中山道最大規模の宿場町となるまで発展しました。そして、明治の近代化とともに、養蚕の町本庄として発展の一途をたどっていきました。

明治22(1889)年町村制の施行により本庄地区では、本庄宿が「児玉郡本庄町」となりました。児玉地区でも2町が合併し、「児玉郡児玉町」が誕生しました。また、両町周辺の村々も合併してあらたな村ができました。

昭和29年7月1日、本庄町と周辺4村は昭和の大合併により「本庄市」となり、さらに、昭和30年3月20日には、児玉町と周辺3村が合併し「児玉郡児玉町」の範囲が拡大しました。その後、昭和32年7月18日に両地区の間にあたる共和村が分村して、両市町へ編入されました。

それから50年前後を経た現在、全国で平成の大合併が進められており、旧本庄市と旧児玉郡児玉町も平成18年1月10日に合併し、新「本庄市」が誕生しました。

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