1200年前の大地震(平成30年7月分)

 おはようございます。7月2日、今月の月いちメッセージをお送りします。先週金曜日に梅雨明けとなりました。猛暑が続いており、サッカーワールドカップで夜更かしが重なっている方も多いでしょう。みなさん体調管理には充分気をつけてください。
 さて先週の水曜日から金曜日、多くの職員のみなさんには大変暑い中、学校通学路の安全確認をしていただき、大変お疲れ様でした。有難うございました。今回は目視によるブロック塀の安全確認でしたが、おそらく現場に出かけたみなさんには、ブロック塀またそれ以外の構造物についても、危険と思われるさまざまな箇所の発見、気づきがあったであろうと思います。
 民間所有のものに対して行政が出来ることは限られていますが、まずは応急的な確認を行い、学校や保護者と情報を共有することが大切です。今回みなさんで実施した安全確認については、学校や保護者はじめ市民の皆さまから、多くの感謝の言葉をいただいていることも併せてお伝えしておきます。
 今回の通学路点検の発端となった大阪府北部の地震ですが、未だに避難所において生活を余儀なくされている方々も大勢おられます。犠牲になられた方のご冥福と被災地へお見舞いを申し上げたいと思います。改めて、日本列島はどこにいても地震の被害から逃れられないということを感じます。さてその大阪北部地震の前の日の6月17日には、群馬県を震源とする地震が起き、渋川市で震度5弱を観測しました。日曜日の午後、下からドシンと突き上げるような揺れに驚いた方も多かったのではないかと思います。
 この地震の震源は前橋市、赤城山の南でした。実は近年の地層研究によって、大規模な土砂崩れや地割れ、そして土石流の痕跡が、この赤城山南斜面から数多く発見されています。これらの痕跡は、今からちょうど1200年前の旧暦7月に起きた大地震によるものであると推定されています。
 この大地震は、平安時代が始まったばかりの弘仁(こうにん)9年、西暦818年に起きたもので、菅原道真編纂の「類聚国史」に記載された歴史書に記録されています。それによると、被害は上野国、つまり今の群馬県が最も甚大で、山が崩れ谷埋まること数里、圧死者多数、と書いてあり、その後、政府つまり当時の朝廷は税を減免し、甚大な被害のあった田畑を皇族直轄の荘園として復興にあたるなど、さまざまな政策を実施したようです。
 近年、地層の調査などの考古学的研究によって、歴史書に書かれた地震の実態が少しずつ明らかになって来ました。赤城山南斜面の痕跡では、まさに歴史書に書かれた大きな被害が実際に発生したものであることが裏付けられました。また赤城山以外でも、群馬県南部一帯、そして埼玉県では深谷から羽生にかけて、液状化現象の痕跡や、寺院や住居の遺跡からは建物が倒壊した痕跡などが見つかり、甚大な被害が広範囲で発生していたことが裏付けられました。本市においてはまだこの地震被害の明確な痕跡は発見されておりませんが、近隣でこれだけの被害が出ているのですから例外では無かったでしょう。
 実は、この1200年前の大地震については、広報本庄の今月号の市長コラムにも書いたところです。旧暦とは言えちょうど1200年前の7月に発生したということから、市民の皆さまにも知っていただこうと考えました。原稿を広報課に提出した後で群馬県そして大阪の地震が起きたので、偶然とは言え自分でも少し驚いております。
 本庄市は関東大震災や東日本大震災においても、人的被害は無く、巷では大きな地震は来ない地域と言われております。しかし、今ではあまり知られておりませんが、87年前に発生した西埼玉地震においては、当時の藤田村、児玉町、共和村において人的、物的被害も出ております。決して地震の来ない、あるいは地震に強い地域ではありません。
 先ほど紹介した弘仁9年の大地震からちょうど1200年。あの東日本大震災も平安時代の貞観年間に起きた大地震と大津波が約1150年ぶりに再来したもの、と言われております。我々の地域に大地震は来ない、これは安全神話であると心得て、適切な備えを進めて参りましょう。
 以上で今月の月いちメッセージを終わります。熱中症には充分気をつけて、今月もよろしくお願いいたします。

 

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