平和事業
非核平和都市宣言
平成18年6月に本庄市議会の非核平和宣言に関する決議を受け、市では平成18年10月に非核平和都市宣言を告示しました。市民が郷土を愛し、その平和を願って非核三原則の完全実施を求め、核兵器廃絶を訴えていくことを宣言しました。
非核平和宣言都市の碑(表)
非核平和宣言都市の碑(裏)
懸垂幕(本庁舎)
懸垂幕(アスピアこだま)
非核平和パネル展
核兵器の脅威を再認識し、平和の尊さを訴えることを目的として、市役所1階市民ホールやアスピアこだまにおいて非核平和パネル展を実施しました。
令和5年度は、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、都立第五福竜丸展示館より、原爆や水爆についてのポスター、パネルなどをお借りし、広く市民の皆さまにご覧いただきました。
市役所1階市民ホール
アスピアこだま エントランスホール
来場者アンケートより(抜粋)
- 二度と戦争はおきてはいけないと、こちらのパネルを拝見して感じました。
- 去年、平和記念公園に行ったり、原爆ドームを見ましたが、すごい迫力でした。今日改めて見て、戦争反対への意思が強くなりました。
- 貴重な資料を本庄市で見ることができ、学びになりました。
- 今年もこの展示会があってよかったです。被爆体験の手記は写真より真に迫る感じがするので、また展示してほしい。
アンケートにご協力いただきました皆さま、ありがとうございました。
青少年平和学習
市内公立中学校において、2年生を対象に原爆を題材としたDVDやパネルによる青少年平和学習を実施しました。
令和5年度は、広島平和記念資料館よりDVD『夏服の少女たち』、『ヒロシマ 被爆者からの伝言』を、丸木美術館(東松山市)より「原爆の図」をお借りし、被爆の実相と平和の尊さについて学習しました。
DVD視聴の様子
原爆の図観覧の様子
中学生よりいただいた感想より(抜粋)
- 食べ物が十分に食べられず、いつ誰が亡くなってしまうかも分からない、そんな時代を生きることはとても苦しいのに、当時の人々は希望や絶望の中で生きていたのか、と今回の平和学習で思いました。原爆で亡くなってしまった人の他にも、辛い後遺症を抱えて生きる人や遺族として生きる人がいること、当時生まれていなかったから、知らないから関係ないのではなく、戦争や原爆のことを未来に伝え続けることが、私たちのできることだと思いました。その他にも、どんなことができるかを考え、二度とこのようなことが起きないように努力しようと思いました。
- 『夏服の少女たち』の女学生達は、戦時中で苦しい生活にもかかわらず、1日1日を楽しそうに過ごしていました。戦争が終わり、原爆さえ落とされなければ、彼女達の生活はもっと楽しかったと思います。彼女達には「まだ生きたい」という思いがあるのに亡くなってしまい、とてもつらく悲しい気持ちになりました。今回の学習で、今起こっている外国の戦争についても深く考えさせられました。そして、戦争というものは本当に良くない事だとあらためて感じました。
- 被爆者の当時の様子を聞いたり、原爆の絵を見たりして、原爆ってこんなにひどいものなのだと思いました。その中でも、当時の原爆が落ちた後の様子を作った3D映像がとてもすごかったです。今では、原爆について語り継いできた人が少なくなっているそうです。そのため、私も、これからの世代の人に伝えていくため、インターネットや本などでも調べていきたいと思います。
- 原爆の恐ろしさを次の世代に伝えようとする被爆者の方々の一生懸命さを学びました。放射線を浴びてしまった人は髪が抜けてしまったり、妊娠していた場合は、お腹の赤ちゃんまで影響があることを知りました。映像では家族を原爆で亡くし、悲しんでいる人がいました。このように悲しむ人達を少しでも減らせるように、私も原爆について学ぶ機会に積極的に参加して、次の世代に伝える活動ができるようにしたいです。
更新日:2023年11月30日