1200年前の大地震(平成30年7月1日号)

更新日:2020年10月01日

 本庄市は昔から地震被害の少ない地域だと言われます。至るところに江戸期や明治期の建物が多数現存しており、7年前の東日本大震災、また大正12年(1923)の関東大震災においても地震そのものの被害はほとんどなく、大地震による大きな被害の記録は江戸期にさかのぼってもありません。このような事からでしょうか、本庄周辺は「大きな地震はない」と言われております。
 しかし大地震はなかったものの、今から87年前、昭和6年(1931)の西埼玉地震では、当時の藤田村、児玉町、共和村で建物が倒壊し人的被害も出ています。そして遠い過去にさかのぼると、当地域周辺にも大きな被害を出しだ大震災の記録があるのです。
 それがちょうど今から1200年前の弘仁9年(818年)7月(旧暦)、現在の北関東一帯で発生した大地震(弘仁地震)です。菅原道真が編纂したとされる『類聚国史』記載の『日本後記』によれば、その被害は非常に広範囲で今の関東内陸部一体に及び、特に被害がひどかったのは上野国とその境(今の群馬県と埼玉北部を含む周辺)で、山崩れにより谷が埋まり、圧死した人々が多数、と記録されています。
 近年、多くの研究者の努力によって、赤城山の南面において、この地震によると思われる土砂災害や二次災害の洪水の痕跡が多数発見され、また深谷市などでは液状化現象の痕跡が発見されました。さらに上野、武蔵両国にあった寺院跡や住居跡にも被害の痕跡が多数確認されています。歴史書が考古学的に裏付けられたのです。
 当時の朝廷は税を免除し、被災地救済に当たったと記録にありますが、それでも田畑の復旧には数十年の歳月を要したようです。関東内陸に未曾有の大被害をもたらした事は紛れもない事実で、当地域も例外ではなかった事でしょう。
 東日本大震災の大津波も1149年前の貞観地震とその津波の再来と言われます。「本庄に大きな地震は来ない」は安全神話です。大地震は必ずくると肝に銘じて防災対策に当たってまいりましょう。

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