広島から来た「被爆アオギリ二世」の苗(令和3年8月1日号)

更新日:2021年07月30日

8月6日と9日は、日本人のみならず人類が忘れてはならない広島と長崎の原爆の日です。原爆の爆風と熱線は、長い歴史と文化を育んできた美しい都市を廃墟に変え、数多(あまた)の人々の命を無残に奪い、生涯消えぬ心身の傷を負わせました。無傷だった人も放射線を浴び急性白血病にて死亡、そして多くの人々が後遺症に苦しむことになりました。
当時の米国トルーマン政権は戦後のソ連との対立を予想し、原爆の威力を世界に見せつけるため、戦争遂行能力を失った日本に承諾しがたい要求を突きつけ「日本が早く降伏しなかったから落とした」という自分たちの免罪符の筋書きまで作り、投下しました。この実に冷酷な事実を我々は直視し、犠牲者の無念に深く心を寄せ、我々また我々の子孫が三度目の核兵器の惨害に絶対に遭わぬよう、厳しい国際社会に心して向き合って行かなければなりません。
さて、焦土と化した広島の街で、大きな損傷を受けながらも生き残った樹木がありました。爆心地から北東へ約1.3km にあった旧広島逓信局(ていしんきょく)の中庭で被爆したアオギリです。幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられましたが、樹皮が傷跡を包むようにして成長を続け、焦土の中で青々と芽を出したそうです。この被爆アオギリは昭和48 年に平和記念公園に移植され、その種から育てられた苗木は、現在広島市によって「平和を愛し命あるものを大切にする心」を後世に継承するため、全国また世界に配付されています。
本庄市ではこの度、市役所の東側に新しい駐車場を整備しました。その一角に本年春、広島市から贈られたこの被爆アオギリ二世の苗を植えました。苗はまだ小さいですが、すくすくと育っています。広島市民の復興の歩みと共に甦り育った、力強い樹です。期せずして市役所の北東、鬼門の方角に植えられました。末永く本庄市の平和と安寧を守ってくれると思います。皆さまも市役所を訪れる際にはぜひご覧くださり、広島の皆さまの恒久平和への願いと、たくましい復興の歩み、命の尊さを感じ取っていただきたいです。

この記事に関するお問い合わせ先

企画財政部秘書課秘書係
〒367-8501
埼玉県本庄市本庄3丁目5番3号
電話:0495-25-1154
ファックス:0495-21-8499
メールでのお問い合わせはこちら