渋沢栄一と本庄市(令和6年3月1日号)

更新日:2024年03月01日

本年7月に新一万円札の肖像になる渋沢栄一は、「近代日本経済の父」と呼ばれ、起こした企業は約500 社。高い志を持って経済の発展と福祉の増進を提唱・実践し、国家・国民のために尽くした偉大な人物です。
生誕の地である血洗島は今でこそ深谷市の字ですが、古くから妻沼街道で本庄宿とつながりがあり、したがって渋沢栄一も、栄一のいとこの尾高惇忠(初代富岡製糸場工場長)も、本庄とは深い縁があります。初代本庄郵便局長の諸井泉衛、その息子で秩父セメント創始者の恒平、孫で経団連や経済同友会の創設に携わった貫一など、日本経済の発展に功績のあった諸井家と、栄一の渋沢家とは親戚関係にありました。諸井恒平や地元の実業家として本庄町の発展に貢献した戸谷間四郎など、本庄・児玉の多くの産業人も栄一から影響を受けたと言われています。
そして、生きた時代は異なりますが、渋沢栄一は塙保己一の編さんした群書類従の版木の保存にも多大な功績を残しました。保己一没後、幕末の動乱で群書類従の版木は長らくその存在が不明でしたが、明治42年、当時の文部省の土蔵から発見されました。栄一は、保己一の曽孫の塙忠雄とともに保己一の遺業を後世に伝えるべく温故会(後の温故学会)を設立し、版木を刷って群書類従の刊行を再開しています。栄一の呼びかけで多くの政官財界人が群書類従を購入。温故学会はその資金を元に、版木の保存のためのコンクリート耐火建築の新しい会館を建設しました(昭和2年竣工)。現在も版木を保存して、群書類従やその他の文献を刊行しています。
塙保己一の業績は、渋沢栄一はじめ多くの人びとの尽力によって今日に伝わりました。栄一も保己一を大変尊敬していたことが、前述の会館の竣工式での祝辞からもうかがえます。
渋沢栄一や尾高惇忠の書、扁額などは本庄市内にかなり残っているようです。本年、栄一が新一万円札の肖像になることを記念して、本市でも企画展を開催し、縁の深さを皆さまと共有したいと考えています。
なお、市民総合大学では、3月9 日の閉講式・生涯学習推進大会で歴史作家の河合敦先生をお招きし、「塙保己一と渋沢栄一」と題した講演会を開催します。ぜひお越しください。

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