能登半島地震被災者のお話を伺う(令和6年4月1日号)

更新日:2024年04月01日

能登半島地震の発生から3か月となりました。3月4日、被災し本庄市に避難されている保下(ぼうした)さんご一家が市役所にお越しくださり、お話を伺いました。
輪島市の山間地、別所谷町にお住まいだった保下さんは、元日の午後、奥様と帰省中のお嬢様と一緒に七尾市の商業施設にいました。地震発生時、一緒にいた家族は無事でしたが、実家には高齢のお母様がおひとりで留守番。電話をしてもつながらず、帰る道路はいたるところが寸断され、不安の中、3人は車中で一夜を過ごしたそうです。翌日に車と徒歩で何とか自宅までたどり着き、家は壊れていましたが、近所に避難していたお母様と無事再会できました。
別所谷町は山間の山村で、外に出られる道路は寸断。集落のみんなで協力し、まず使えるお宅の納屋等、3棟を避難所とし、それぞれが壊れた自宅から食料や燃料、炊事道具や布団、ストーブ等を持ち寄り、合計88人で避難所生活を送ったそうです。炊き出し、ご高齢の方のお世話、山からの水をトイレに引く、外に出る山道のルートを古老に聞いて確保するなど、山に生きてきた人びとの知恵と工夫をいかし、孤立した中でも励まし合って避難生活を続けたとのこと。教えられることが多いお話でした。
そして、1月6日、集落の方がた全員が自衛隊のヘリコプターで救助されました。保下家では猫の「ひめ」も一緒にヘリコプターに乗れました。その後一家は親しい知人がお住まいの本庄市へ身を寄せることになり、まず市営住宅へ。2月中に知人や地元の皆さんが紹介してくれた空き家に移り、市内で生活されています。市民の方がた、行政や社会福祉協議会の職員、本庄の人びとの心の温かさに心から感謝します、とおっしゃってくださいました。実際に帰郷するのは困難であるという厳しい現実に心が痛みますが、一方、SNSで集落の皆さんとのつながりを保っているというお話に、救われる思いです。
お嬢様の真澄さんは、都内で切り絵作家として活躍されています。『輪島の棚田』の切り絵作品を頂戴しましたので、市役所の市民ホールに飾りました。
改めて被災された皆さまにお見舞い申し上げつつ、おひとりおひとりの生活再建がしっかり進んでいくことを願ってやみません。

この記事に関するお問い合わせ先

企画財政部秘書課秘書係
〒367-8501
埼玉県本庄市本庄3丁目5番3号
電話:0495-25-1154
ファックス:0495-21-8499
メールでのお問い合わせはこちら