流言による人災の恐ろしさ(令和4年9月1日号)

更新日:2022年09月01日

大正12 年の関東大震災から99 年を迎えました。当地域の被害は東京や県南部に比べて軽微でしたが、旧本庄町では震災後、多くの朝鮮人が殺害される痛ましい事件が起きました。遺体を埋葬した長峰無縁墓地では、毎年9月1日に追悼式を実施し、市内寺院のご住職方により本年は百回忌の読経を賜ります。私も心を込めて追悼の誠を捧げます。
震災時を直接知る人はほとんどいませんが、多くの(86名とされ、諸説あり)朝鮮人が当時の本庄警察署構内で殺害されたことが、さまざまな証言とともに今に伝わっています。
なぜこのような事件が起きたのか。震災直後から「朝鮮人たちが井戸に毒を入れている」、「暴動発生」などの流言が本庄町にも伝わり、町民には動揺が広がりました。それまで避難列車への炊き出しをしていた町民は自警団を結成。当時の本庄警察署長は、「流言に惑わされるな、善良なる朝鮮人は保護せよ」と訴え、こうして避難列車から降ろされ、あるいはトラックで護送されてきた朝鮮人が警察署に保護、収容されました。しかし9月4日、激高した群衆によってまさにその警察署が襲撃され、惨劇が起きてしまったのです。
実行犯たちはその後、検挙されました。無頼の徒が多かったようですが、裁判記録によると、群衆の声におされ殺した、あるいは正義と思ってやった、との供述があります。言い訳もあるでしょうし、当時すでに良心の呵責があったのか、その後精神を病んだ人もいました。不確かな流言により、人間は群集心理や正義の名のもとに、どんなひどいことでもやってしまう場合がある、その恐ろしさをこの事件は物語っています。ラジオさえ無い、情報量が極端に少ない時代の事ですが、逆に情報が氾濫する現代においても、不確かな流言に多くの人が惑わされ、残虐な行為に及ぶ事件が国内外で起きています。
一方で、当時の本庄町においても、朝鮮人をかくまう、あるいは後続のトラックを誘導して逃がすという、心ある町民の行動もありました。天災が起きても冷静さを保ち、絶対に人災を起こさせ
ない、このことを誓う百回忌です。

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