「死者に向き合う8月」 (平成29年8月分)

更新日:2020年10月01日

 みなさんおはようございます。8月1日になりました。今月の月いちメッセージをお送りします。さて、8月は6日が広島原爆の日、9日が長崎原爆の日、15日が全国戦没者追悼式典ということで、戦没者に追悼の誠を捧げ、我が国と世界の平和を祈る月であります。
 そして時を同じくして各地でお盆の行事があり、ご先祖や亡くなった家族を偲ぶ月でもあります。今日はそんな8月にちなんで、あえて「人の死」について私の思うところをお話します。
 振り返ってみますと、この1年間も数多くのかけがえのない方々が亡くなられました。みなさんにおかれても、大切なご家族を亡くされたり、親しかった友人知人を亡くされたり、さまざまな別れを体験した方も多いのではないかと存じます。
 ご家族を亡くされ、新盆が間近にせまり、大勢の親族を迎える支度に忙しくなるご家庭もあるでしょうし、家族だけで静かにお盆を迎える予定のご家庭もあるでしょう。また大切な親族や友人知人の新盆に、ご挨拶に伺う予定の方もおられると思います。ここに改めて、各位にとってそれぞれ大切な方々の、ご冥福をお祈りいたします。
 私は、8月は日本人が「死者」に向き合う月であると思います。死者という言葉が強すぎるのであれば、故人でも良いですが、しかし、普段どちらかというと我々が意識的に避けている、人の死というものに、改めて向き合ってみること、それはとても大切な事ではないかと思いますし、特に8月はそれが相応しい月だと思います。
 私自身もこの1年間、色々な方々の死に接してきました。特に親しかった方々の場合は、ご葬儀の前にご自宅に伺い、故人のご遺体にお別れしお線香をあげてくることも度々ありました。故人との思い出がよみがえり涙したこともありました。しかし私の場合、おそらく最も身近な家族が亡くなったわけではないので、かえってストレートに涙した、涙できたのではなかろうか、というのが偽らざるところです。最も身近な肉親を亡くした場合の悲しみ苦しみは、特に小さなお子さんを突然亡くされた親御さんの絶望感などを思うと、本当に計り知れないものがあろうかと思います。
 人の死は悲しいものだと言われます。しかし、本当のところ我々は、人の死自体が悲しいのではなく、自分に近しい人の死が悲しく辛いのである、というのが偽らざるところでしょう。遠い世界で100人の人が亡くなろうが、身近な家族一人の死こそが辛く悲しい、これが人間だと思います。なぜ悲しいのか、それは近しい人ほど、言ってみれば自分の存在の一部だからでしょう。
 そしてその状態を、決して良しとはしないのが、洋の東西を問わず、世界宗教と呼ばれる仏教やキリスト教の教えです。自分の身近な人だけを愛し、他の人に目もくれないのは、愛しているようで実は自分のエゴの満足のためであり、それは突如として苦しみにさえ変わるものだ、という鋭い問いを我々に投げかけています。
 このお話は、たった今ご家族を亡くした方には酷な物言いになるかも知れません。しかし、突き詰めていうところの自己満足、自己中心の世界から、どうしたらそこを乗り越えて、万人に対する愛や慈悲の精神を我々は持つことができるか。これは凡人の我々にはなかなかハードルが高いですが、過去の深い悲しみ、絶望を乗り越えて、いつしか人々の悩み苦しみに寄り添う存在として、周囲から尊敬されている方もこの世の中には数多くおられます。
 さらにまた、亡くなった方を接点として、故人と何らかの関係のあるもの同士が、改めてご縁を深めていく、また新しい人間関係を結んでいく、例えば親が亡くなったことを一つのきっかけにして、新しいカップルが誕生した、などというお話を聞くと、私は心から感動します。亡き人が結んでくれたようなご縁が生まれる事は、素晴らしいと思います。
 死者に向き合う8月。死者を、故人を偲びつつ、限りある自分の生をどう生きて行くかという、人生を考える時間にしていただければと考え、重い内容でしたがお話しました。
 いつか行く道ではありますが、しかしだからと言ってみなさん、急ぐことはないですし、いや急いではいけません。ぜひ今月も体を大事にしてお仕事頑張ってまいりましょう。

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