市民目線の行政サービスとは(平成21年2月分)

更新日:2020年10月01日

おはようございます。今月の月いちメッセージを送ります。寒い日が続いています。体には十分気をつけて、今月もお仕事頑張ってください。
先日、東京都庁OBの伊藤章雄(ゆきお)という方の書かれた本を読みました。その中に、管理職として都立公園の仕事に携わったときのエピソードがあり、印象に残ったので今日はその内容を紹介します。
都内には50か所を超える都立公園があり、そのほとんどに立派な藤棚があるそうですが、ある時伊藤さんは、どの藤棚も藤が満足に咲いていないことに気づきました。全く咲いていないわけではなく、咲いていることは咲いている、端の方や、空中に跳ね上がった枝に花房が下がっており、遠くからみると咲いているようだが、近づくと見えないのです。藤の名所である亀戸天神や足利フラワーパークは、毎年見事な花房を滝のように垂らし、ゴールデンウィーク前後には大変な数のお客を集めているのに、どうして都立公園の藤は滝のように咲かないのか。伊藤さんが調べてみると、亀戸天神の藤棚は、天井の格子の桟が、網の目のような細い竹で出来ており、そこに蔓(つる)の枝をぴったりつけて縛っているため、藤は垂れ下がって見事に咲くのです。それに比べて都立公園の藤棚の場合、天井はコンクリートの升形の格子になっており、蔓を縛っていないため蔓も花房も空中に浮き上がり、垂れ下がるための工夫が全くされていないことが分かりました。伊藤さんは思いました。「亀戸天神の藤棚は、職人が藤に『垂れ下がって咲くんだよ』と語りかけているようだ。それに引き換え都立公園の場合は、藤棚があっても『咲かす心』がない」。
このことを部下である造園職の管理職に指摘したところ、「公園は自然のあるオープンスペースの確保を目的にしています。花の名所をつくるという考えがもともとありません。」との返事。これに伊藤さんは反論します。「確かに都市公園法に花の名所をつくれとは書いていない。しかし理屈より現実に藤棚があるのだ。葉っぱばかり茂る藤棚をみて気持ち悪いと思わないのか。」すると今度は次のような返事。「私たちは公園の平面の設計が専門で、花のことは園芸担当の仕事」。これには伊藤さんも怒りました。確かに造園職は公園を造るときのゾーニングなどの担当ではある。しかし、管理運営の部門でもあるのだから樹木や花のあり方に関心を持つべきであり、具体的な工夫をすべきだ。そう伊藤さんは指摘し「理屈はいいから住民があっと驚くような藤を咲かせてくれ」と命じたそうです。
しかし、その計画書はなかなか上がってきませんでした。聞けば現場の職人が反対だというのです。「勤務実態を見れば余力は十分にある、職人は花や木で自分の心や技を表現する芸術家のはずだ、いつから単なる作業員になったのか。」そう伊藤さんは残念に思いました。しかししばらくたつと、職人を説得できない理由が分かったそうです。それは直属の課長が「剪定(せんてい)をやれ、肥料もやれとうえがうるさく言っている」と、人ごとのような説明をしていたからだったそうです。伊藤さんは言います。「それではだめだ、なぜ藤の花を咲かせたいのか、その気持ちから説明しないといけない、公園に来るお客さんを喜ばせたい、今までの公園管理のような『待ち』の姿勢でなく、魅力を作り出し、PRしてゆく、それが職員の使命だ、我々の生きがいだと課長自らその気になって説明しなくてはいけない。これまでの無機質な藤棚の管理の心に火をつけよう、リーダーが火種を燃やさなければ炎は燃え広がらない。」そういって課長を説得したそうです。結果、この課長は自ら納得したのでしょう。努力して職人の心に火を着けていったそうです。もちろん藤棚作りですからすぐに効果は出ない、3年かかるといわれたそうです。が、これまでの間、管理職も職人に対するフォローを忘れず、今でもその努力は続けられているとのことでした。今後都立公園の藤棚は年々見事になっていくことでしょう。
このエピソード、みなさんはどう思われたでしょうか。色々気づくことの多い内容だと感じたので、本日みなさんに紹介させていただきました。年頭の訓辞で申し上げた通り、今年は「自ら」という言葉をテーマとしました。ぜひ職員のみなさん、待ちの姿勢ではなく、市民の目線に立って、市民に喜ばれ信頼される行政サービスとは何か、自ら考え、自ら能動的に、血の通った行動を起こして、各々取り組んでください。以上で本日のメッセージを終了いたします。

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