「塙保己一没後190年を記念して」(平成23年6月分)

更新日:2020年10月01日

おはようございます。季節はすでに梅雨に入りました。6月の月いちメッセージをお送りします。
先月21日に、総検校塙保己一先生遺徳顕彰会の総会が行われました。今年は塙保己一没後190年に当たります。そこで、この総会では通常の議題の他に、没後190年を記念して2つの大きな事業に着手することが決定されました。
その1つは、塙保己一墓所の移転と整備についてです。塙保己一は文政4年(1821)9月12日に江戸で亡くなり、四谷の安楽寺に葬られました。その後、明治19年に、親族の手によって郷土の児玉郡保木野村に墓碑が造られたと言われています。この墓碑は、年代は定かではありませんが、明治の末か大正の初めに、当時の金鑚神社宮司や本庄町長など、児玉郡内の有志により現在の場所に移設され、その後時代が経るにつれ石灯篭や玉垣などが造られ立派な墓所として整備されました。
しかし近年、この墓所も老朽化が甚だしく、市民や他所の参拝者から、環境的な問題を指摘する声も多かったため、遺徳顕彰会では、昨年度より、事業部会や役員会で、墓所のあるべき姿について検討を重ねてきました。その結果、墓所を現在の場所から東に50メートルほどの、塙保己一没後100年祭の記念碑がある本庄市所有の土地に、来年度を目途に移転し、整備するのが妥当との結論に至り、この度の総会で正式に決定しました。移転と言っても同じ児玉町保木野地内であること、候補地には100年祭記念碑という立派な史跡があり、しかも市の土地であるため墓所を移転した際に周囲と一体的な整備が可能な場所であること、などの理由からみなさんの理解が得られたものと思います。
2つ目は、塙保己一の銅像を本庄早稲田駅前に建立することについてです。新幹線駅前に塙先生の銅像を、という話は以前からあり、この度、遺徳顕彰会総会において正式に決定しました。銅像の建立時期は本庄市合併10周年の平成27年度を目途に、そして銅像の形については、塙保己一が15歳の少年の時に、志を立てて江戸に旅立った時の姿を現代に再現しようということになりました。
この画期的な銅像の案は、昨年8月の遺徳顕彰会役員会で初めて提案されました。障害を持つ人々にとって非常に過酷な時代に、大きな不安を抱えながら、身一つで江戸に出て頑張ってみようという、大きな志を持った15歳の盲目の少年の姿を銅像として再現することで、特に就職や就学で本庄から外の世界に旅立つ、あるいは本庄にやって来る若者たちに、勇気を与えたい、というのが決定の理由です。私自身もこの案については強い感動をもって受け止めています。駅という旅立ちの場所にふさわしく、また「本庄早稲田の杜」というこれから伸びて行く新しい街にもふさわしいと確信します。
墓所の移転整備や銅像建立については、まだ方向性が決まっただけですので、今後、有識者による準備のための委員会を立ち上げ、充分に検討を行ったうえで実行していく予定です。この事業は、検討の段階から教育委員会や、他の部局にも関わる課題も出てくると思いますので、関係するみなさんのお力添えをお願いいたします。
本庄市の総合振興計画の基本理念には「世のため 後のため」という塙保己一の言葉が使われています。私は今後とも塙保己一を郷土の偉人として、その遺徳を広く顕彰し、混迷する世の中に少しでも光を当てて行きたいと考えます。みなさんのご理解とご尽力を重ねて宜しくお願い致します。
今月の月いちメッセージは以上です。うっとうしい日々が続くなか、夏場の節電に向けて各課とも対応が大変と思いますが、どうぞお体大事にしてお仕事頑張ってください。

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