「先人は敬し、過去は乗り越えるべし」(平成24年11月分)

更新日:2020年10月01日

おはようございます。11月1日、今月の月いちメッセージをお送りします。
先月21日に本庄市名誉市民条例に基づいて実施した茂木稔前市長の市民葬は、秘書広報課を中心に準備を進め、当日は職員ほか多くの関係者協力の下、無事執り行うことが出来ました。準備期間が短く、リハーサルなども当日の午前中行うなど大変あわただしい中での実施でしたが、みなさんには本当に心を込めて対応していただきました。終了後ご家族からはもちろん、参加した多くの市民の方々から市職員への感謝とお褒めの言葉をたくさんいただきましたので、ここで改めてみなさんにお伝えし、お礼を申し上げます。ありがとうございました。
市民葬の行われている間、私は前市長時代のさまざまな出来事を思い起こし、改めて世の中は大きく変わったと感じたところです。
前市長の在任期間であった平成元年から平成17年までの16年間に、バブルの絶頂期からその崩壊、その後政策面でさまざまな紆余曲折があり、平成13年以降は小泉内閣による小泉構造改革が断行されました。その小泉構造改革の郵政選挙直前に前市長は退任され、私が旧本庄市長に就任し、以来7年4か月になります。この間の目まぐるしい我が国と本庄市を取り巻く状況を思い起こすと、前市長の時代ははるかに遠い昔に思えます。
日本は平成7年を境に生産年齢人口が減り始めました。つまりバブル崩壊後ほどなくして右肩上がりの時代状況は事実上終焉したのです。しかしバブル崩壊後にも、バブル時代に勝るとも劣らないほどの巨額の公共投資が、経済立て直しのために国からの補助金により各地方で盛んに行われました。確かに一時、地域にお金は回りましたが、基礎自治体が、自律的に計画を立てて予算を執行するよりも、補助金を使った予算執行の迅速性が優先され、その結果さまざまな問題を残してしまったと思います。
平成7年は私が市議会議員に初当選した年ですが、当時、世の中はまだまだ右肩上がりの時代の幻想が消えず、政治家や行政職員の発想も、また行動も、今では考えられないようなこともありました。あえて誤解を恐れずあの時代を表現すれば、公共事業を通したバラマキ政治、利権政治も大いに横行した時代、といえると思います。実はそんな中だからこそ前市長の公平無私の姿勢、誠実な人柄は当時の本庄市にとって幸いだった、そう感じています。
振り返って考えると、私自身市長を拝命した直後も、さまざまな利権がらみの人たちとの葛藤の繰り返しがありました。しかしその後、そういう人たちもだんだんと鳴りを潜めて行きました。もはや完全に右肩上がりは幻想、人口減少と超高齢化の中で、いかにしたら持続可能な都市づくりが出来るか、そういう大きな課題を前にして、公共部門から湯水のように金が出てくる時代は終わり、そこに群がろうとする人たちの声の大きなワガママはもはや通用しません。
本庄市も合併して7年目。国と地方との関係も大きく変わりました。地方分権、地域主権と、さまざまな言葉が飛び交いましたが、今や自分たちの地域の将来は自らの裁量と責任で切り拓いて行く覚悟が求められる時代が来ています。まさに前市長の時代に本庄市・児玉郡挙げて新幹線の駅を作ろうと決意したように、その時代、その時にしか出来ないことがある。現本庄市も、今だからこそやらねばならないこと、やるべきことに力を入れねばなりません。先人は尊敬すべき。そして過去は乗り越えるべきものである、そう決意するところに未来は切り拓けると考えます。
先日、市の債権の回収に向けたプロジェクトチームの報告を聞きました。また収納課では、埼玉県内で2011年度収入未済額圧縮率部門で第一位という成績をあげ埼玉県個人住民税市町村表彰において表彰されました。時間はかかりますが、現本庄市は先人の努力に敬意を払いつつ、過去からの負債の清算と新しい時代のチャレンジに、今後とも全力をあげるべきであるということを改めて申し上げ、以上で月いちメッセージを終了といたします。今月もみなさん、頑張ってください。

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