「8月に考える」(平成24年8月分)

更新日:2020年10月01日

おはようございます。8月1日、今月の月いちメッセージをお送りします。
8月は日本人にとって特別な月だと思います。6日、9日の原爆の日、そして13日から旧盆、15日が終戦の日。私たちに過去の歴史や祖先について考えさせる月であり、特に終戦の日が旧盆と重なったことは、より一層特別の感慨を後世の日本人に抱かせることになったと思います。
終戦からすでに67年がたち、先の大戦は遠い過去になりつつあります。おとといの7月30日は、大正時代の始まりからちょうど100年でした。今や大正生まれの方々も本当にご高齢になりました。兵士として戦地に赴き、あるいは空襲の中子どもを抱えて逃げ、そして戦後の食糧難の中を必死に働き生きた、大正生まれに代表されるいわゆる戦中世代の方々の生の声は、今やほとんど聞かれなくなりました。
私は8月が来るたびに、昭和の終わる頃まで社会の第一線にいた世代の方々のことを思い出します。
おしなべて自分の権利はあまり主張せず、慎み深く、簡単に弱音を吐かない、反面とても頑固で融通がきかない人々も多かったようです。ただその頑固さや融通のきかなさは家族や仕事に対してであって、社会に対して自分の権利を振りかざすといったことは、ほとんどなかったようです。
同じ戦争体験者でも、当時すでに大人だった世代と、それ以降の当時子どもだった世代とでは、明らかに世代間の断絶が存在するようです。
戦後の社会は「個人がやりたいことをやる、やれる」社会を目指してきました。そのような中、戦中世代の方々の多くは「やりたいこと」より「やらねばならぬこと」をやる、という価値観に生きていたように思います。戦時中は自らの青春を国家のために捧げ、戦後は廃墟の中から家族を食べさせるために必死で働いてきた人々にとって、「やりたいこと」などを考える時間はなかったのでしょう。
高度成長によって日本が豊かになっていく中、「個人がやりたいことをやる、やれる」社会は、実現可能であると信じられてきました。そして、自分の権利を堂々と主張することが是とされ、いつしか戦中世代の慎み深さや頑固さは、その後の世代によって、時代遅れという烙印を押されてしまったようです。
しかし皮肉なことに、戦中世代が社会の第一線を退いたあたりから「個人がやりたいことをやる、やれる」という理念を掲げた日本社会には、ほころびが目立つようになり、そして今や、掲げてきた理念と現実のギャップはあまりに大きくなってしまった感があります。
現在は自分の権利だけを声高に叫ぶ人々、極端なクレーマー、義務を果たさず自堕落な生活に甘んじる者など、権利を濫用する人々が大量に増加しています。
私自身、このような状態に心の底から義憤を抱かずにはいられません。
8月は日本人にとって祖先を思い戦没者英霊を追悼することはもちろん、戦後社会の理念をよそに黙々とこれまでの時代を創ってきた人々も偲びつつ、社会制度が行き詰まった現在の日本のあり方についても考えさせられる月になっているようです。
「個人がやりたいことをやる、やれる」ことは確かに素晴らしい理念ですが、たとえ個人的には「やりたくない」ことであっても、黙々として「やらねばならぬことをやる」人たちがいなければ絶対に成り立ちません。いつの時代も、世の中はそうやって真に進んできたのだと思います。
時代が行き詰まっている今だからこそ、やらねばならぬことをやる。私自身、そう自分に言い聞かせています。時代の扉を開くための、さまざまな分野における新しい課題へのチャレンジ。あるいは過去からの難しい問題の清算・解決など。そして目立たないけれど、日々の仕事、そして日々の仕事の上での判断、そしてそのチェックも真剣に。黙々として「やらねばならないこと」をやっていく覚悟でいます。
暑い日が続きますが、どうぞお体大切にしてこの夏を乗り切っていきましょう。以上で終わります。みなさん、がんばりましょう。

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