「人権」と「国防」(令和4年3月分)
おはようございます。3月1日、月いちメッセージをお送りします。今年度も残りひと月。退職予定のすべての皆さんには、本当にお疲れ様です。あと一ヶ月、くれぐれも身体を大事にしてそれぞれの仕事に取り組んでいただきますようお願いします。
さて、全世界がコロナ禍で苦しむ中、ウクライナではロシア軍の侵攻により悲惨な事態となり、我々はテレビやWebで流される情報を傍観せざるを得ない状況です。武力攻撃で傷つき命を落とす戦闘員・非戦闘員、共にそれぞれ一人の人間です。大国の都合に翻弄される国際社会と、その犠牲となった人々またその家族、かけがえのない人権を深く傷つけられている方々の身の上を考えると、まことにいたたまれない思いになります。改めて哀悼の意を捧げたいと思います。
同時に、不穏な国際情勢の中、我が国に対する圧迫や武力攻撃を、起こさせないためにどうするか、また、仮に起きたらどうするのか、住民の生命と身体の安全安心を守る自治体の長として申すべきことを物申して行かねばと感じております。
国際社会いわんや国防のことなどは自治体の首長が物申すべきではない、という意見もあるかも知れませんが、それは違います。私はまず何より一人一人の人権の尊重が大切と考えます。しかし人権は、ただそこにあるものではなく、自分の人権が侵害されたと感じた時に正当な手続きを経て訴えを起こすことが出来る社会、他人の権利を侵害しない中で自分の権利を主張して罰せられない社会、このような社会が成り立ってこそ保障されるもの、それが人権です。
そしてそのような社会を国家が国民に保障する、国民が国家に保障させることが必要です。そして、それを保障する国家の存立なくして、一人一人の人権も守れないということも真です。すなわち国防ということに対して大いに関心を持ち物申すことは、人権を尊重する国民の責務であり権利であると思うのです。
しかし、ここからが難しいのですが、国民一人一人の人権と国防、これは同一線上にありながら、相矛盾し悲しい結果を招く場合がある。国民を守るために国を守らねばならない、しかし一旦戦いが始まれば国を守る大義のもとに国民が犠牲になるという事です。冒頭申したように、今般ウクライナにおいても、ロシアの軍事侵攻から国を守るため、多くの人々の最愛の伴侶や子供がその身を捧げています。ウクライナにとっては名誉ある死。しかし家族にとっては悲劇です。一般市民も戦闘に巻き込まれ多くの方が亡くなっています。
私はウクライナの大統領の国を守ろうとの強い意志、大国の横暴を許さないという姿勢に共感を覚え、何とかロシアの侵攻を食い止めて欲しいと願っています。が、そのために多くの人々が犠牲になるかも知れず、複雑な思いを禁じ得ません。我が国においても先の大戦で我々の祖父母たちが経験したことは、今日まで難しい問題を投げかけています。
その上で申し上げたいのは、しかし今を生きる我々は、有為転変する国際社会の中で、不当な攻撃から日本の国と社会をどう守るかという事に、やはり目を背けてはいけないと言うことです。
少なくとも我々の周りには、個人の人権や自由が保障されていない強権的な統治方法で成り立つ国々があり、その動きは常に覇権的であることは、皆さんよくご承知のとおりです。そのような国家の影響下におかれた時、果たして私たちの人権は、自由は保障されるのか、これは香港などを見れば一目瞭然でしょう。
また軍事的攻撃ではなくとも、例えばサイバー攻撃は常に我々自治体も危険にさらされているのが現状です。相手は国家でもあり組織でもあり個人でもある、ここが弱いと見れば襲い掛かる、卑劣な攻撃は世界中で起きている、これが現実です。
改めて言います。ウクライナへロシア軍の侵攻が起こりました。世界はこの先どのように動くか、混沌としております。このような中、国民一人一人の人権が保障された社会、これを「保障」するため、日本の安全と平和をしっかりと守ることは大事です。
私は、国防の要諦は相手の恫喝に屈せず、しかも戦いを起こさせないようにすることだと思います。様々な方法を駆使しての抑止力の強化も大事でしょう。情報化社会ですから、ソフトパワーも重要です。今回の軍事侵攻ではロシア国内でも反対の声が起きています。おそらく命がけでしょう。軍事侵攻に抵抗しているウクライナの人々に対してと同様、敬意を表したいです。
我々一人一人も、不当な暴力や恫喝を許さず屈しないという姿勢を日々の生活の中で培い、平和を愛し世界の人々の人権の尊重を願う思いを、大いに発信することが大事だと考えます。
その上で、万が一武力による攻撃事態となった場合どうするか、ここをタブー視せず、どのように被害を最小限に止め、ことを有利に運ぶかを政府においては大いに研究し備えるべきですし、自治体においても国民保護のための様々な想定が必要でしょう。
事は簡単ではありませんが、大きな歴史の体験を重ねた日本人は、過去の経験に学びつつ、人権と国防の在り方について、真正面から論じ国民的合意を形成していく必要があるのではないか。それは政府や国会にのみ任せれば良いのではなく、まさに有為の国民一人一人が自らの事として考えることが大切ではないか、このことを問題提起し、以上で本日の月いちメッセージを終わりにいたします。
更新日:2022年03月01日