ローマは1日にしてならず(本庄早稲田駅開業20年に思う)(令和6年3月1日)

更新日:2024年03月01日

おはようございます。3月1日、今月の月いちメッセージをお送りします。さて、来る3月13日で、本庄早稲田駅が開業し20周年となります。駅は今や本市はじめ埼玉県北部、群馬県南部と、県南や都内、遠方を結ぶ、通勤通学や出張、旅行に欠かせないものであり、関越自動車道本庄児玉インターチェンジと併せ、本市また周辺地域における高速交通網の重要な結節点となっています。新幹線の駅と高速道路のインターチェンジが近接して立地している自治体は全国的にみても数少なく、本市の都市としての特徴、強みでもあります。
上越新幹線が開業したのは今から42年前の昭和57(1982)年です。本庄早稲田駅はこの時点では存在していませんが、当時においても「いつか本庄市に新幹線新駅を」という期待感が、それなりに多くの市民に共有されていたと私は記憶しております。出来っこないという声もありながら、いやいつか必ずできる、できなければ本庄の発展は無いという声もあったと記憶しています。
なぜそのような声があったのか、まずその発端は、新幹線開業の時点より11年さかのぼる昭和46(1971)年、上越新幹線の建設計画発表前後のことです。今から53年前です。当時の高橋福松市長は「ほんじょう市政だより」において、新幹線駅誘致実現に向けて国や鉄道公団に働きかける旨を宣言。しかし結果として本庄は断念せざるを得ませんでした。市長の当初の意気込みと、そして無念の思いが、当時の市政だよりに記録されています。しかしその後、昭和49(1974)年の市の総合振興計画基本構想に、新幹線新駅設置について当時の国鉄に要望を行っていく事が盛り込まれ、議会もこれを可決。新駅設置は本庄市の大きな目標となりました。
このような動きがあったので、昭和57(1982)年の上越新幹線営業開始時、またその後も、駅は無くとも将来駅が設置されるのでは、という市民の期待感もあったと推察するところです。が、その期待感は世間一般では夢物語だったようで、私自身大学生の時に、所属していたサークル内で、本庄市の新幹線駅設置構想を熱く語ったところ「お前が飛び込んで停めるのが関の山」と一笑に付されました。
ともあれ地元においては夢物語を現実にしようと、その後の平成元(1989)年、埼玉県、群馬県の31市町村で上越新幹線本庄新駅設置促進期成同盟会が発足しました。このことも私には思い出があるのですが、ちょうど大学3年時にある代議士の事務所で学生アルバイトをしていた際、当時の本庄市の織茂良平市長が同盟会発足に当たり、その代議士に顧問就任を依頼するため国会の事務所にお越しになったのです。いよいよ地元ではそういう動きが出て来たのだと、嬉しく誇らしく思ったことを覚えております。平成3(1991)年からは市議会においても特別委員会が結成され、以来、市と議会が車の両輪のごとく地道に運動を続けてきました。
長年にわたる「いつかは新幹線新駅を」との市と市民の思いは、その後平成5(1993)年の本庄地方拠点都市地域の指定、そして早稲田大学本庄キャンパスの新たな事業展開と相まって、ついに平成10(1998)年、新駅設置についてのJR東日本、埼玉県、本庄市の基本合意に結実しました。当時市議会議員だった私は、大学時代に私を揶揄した友人に威張り返して痛快でした。
新駅建設予算は123億円。全額地元負担です。うち本庄市が三分の一の41億円、埼玉県が同じく41億円、残りの41億円の半分の20.5億円を当時の児玉郡5町村と大里郡岡部町が拠出。それ以外を早稲田大学の7億円をはじめ多くの企業、団体そして市民の皆様からご寄付いただき、さらには駅の名前も本庄早稲田に決定。ここに多くの方々の努力の積み重ねによって、平成16(2004)年3月の駅開業に至ったのです。当時の茂木稔市長がよく「天の時、地の利、人の和」と語っていたことを思い出します。
駅開業から20年、この間の道のりも決して平たんではありませんでした。本庄市も単費で41億円もの金額を供出し、そのしわ寄せは様々な分野に及びました。周辺整備も地域公団の整理統合で宙に浮き、私もそのような中で市長職に就き、多くの職員の皆さんと苦労しながら今日まで来ました。大きな不況や災害もあり、近年では駅乗降客もコロナ禍の影響で激減。最近やっと回復傾向にあります。駅周辺についても、まだまだ様々な課題があります。
しかしこの20年、紆余曲折を経ながらも、駅周辺、本庄早稲田の杜は、本市また児玉郡さらには県北、群馬南部まで含めた求心力のある拠点として着実に発展し続けており、人口減少、縮小傾向の時代のなか、本市の持続可能性に大いに資するものとなっています。
本庄市は今後とも、交通の結節点という特徴を大いに活かし、鉄道や道路など交通の利便性を更に高め、本庄早稲田駅を含む3つの駅周辺のまちづくりや、道の駅構想や新たな産業用地の選定など、将来をみすえて戦略的に、持続可能な都市政策にチャレンジして行くべきと私は考えます。本日は時間も無いので、将来の構想については、またの機会に皆さんにお話しすることとしますが、現在、埼玉群馬両県の首長達と進める新たな上武連携構想もその延長線上にあるものです。
本日は本市の持続可能なまちづくりに欠かせない存在である本庄早稲田駅の開業20年にあたり、多くの先人の皆様のご労苦に感謝しつつ、思い出と思いを語らせていただきました。まさにローマは1日にしてならず、です。
本年度もあと1か月、年度末お仕事頑張って下さい。以上で月いちメッセージを終わります。

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