「五十子の陣(いかっこのじん)」の史跡について(令和4年8⽉2⽇回答)

更新日:2022年11月28日

意見・提言

五⼗⼦の陣の⽬印を作ってほしい。

先⽇、五⼗⼦の陣の史跡を⾒に⾏ったら何もなく困惑しました。かろうじて本庄カルタの⽯碑と灯篭のようなものが⽴っていましたがそれ以外は何もありませんでした。

五⼗⼦の陣は享徳の乱の最重要拠点であり、⼀時は関東の中⼼にもなった場所です。歴史ファンの中には現地に⾏ってみたい⼈は多くいると思います。そのような⼈が訪れた際、付近に何もないというのはさみしく思います。せめて看板を⽴てて、ここが五⼗⼦の陣跡ですとわかるようにしてほしいです。

回答

この度は、本市の史跡に興味をお持ちいただき、実際に現地を訪れていただいたことに感謝を申し上げます。

〇〇様のおっしゃる通り、五十子の陣は、近年の研究によりますと、応仁の乱に先駆けて、戦国時代が始まる契機となった重要な遺跡と言われております。そのため、多くの歴史研究家や愛好家の方が現地を訪れていますが、堀や土塁などの明確な遺構が残されておらず、かねてより解説の看板を設置してほしいとの要望があったところです。

しかし、現地が公共用地ではないため、行政で自由に看板を立てるといったことが難しかったところですが、令和3年3月に地元の方のご厚意により敷地をお借りして、解説の看板を設置したところでございます。

看板の設置場所までの案内につきましては、本庄カルタの碑の横に北へ向けた赤い矢印を表示し、看板までの道順を示してございますので、設置いたしました解説の看板をご覧いただけますと幸いに存じます。

(令和4年8月2日回答)

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