被爆80年 広島にて(令和7年9月1日号)

更新日:2025年09月01日

8月6日、9日は広島、長崎80 年目の原爆忌でした。節目の年、私は市内6つの中学校の生徒の皆さんと共に、6日の朝8時から広島市平和記念公園で開催された、原爆死没者慰霊式・平和祈念式に参列しました。
式に先立つ前日、新幹線で広島駅に到着後、平和学習に参加する生徒の皆さんと別れて、私は市電で原爆ドーム前まで向かい、平和記念公園内の慰霊碑に手を合わせ、平和資料館を見学しました。
展示の最初のコーナーは、壁一面に映し出された、昭和初期の繁華な広島市街と、学校で撮った児童たちの笑顔の写真です。そんな人びとの日常の生活は、米軍の原爆投下による爆風と熱線で突如奪われました。
次の展示コーナーは「被爆の実相」と題して、原爆のキノコ雲の下で何が起きていたのか、その凄惨な状況を、写真や絵、また保管されてきた数多くの遺品により現代に伝え、核兵器使用の非人道性を世界に訴える内容となっています。焼け焦げた三輪車と犠牲となった男の子、その生前の可愛らしい写真の前で、女性の外国人見学者がすすり泣きをしていたのが印象的でした。

翌6日の式典で、松井一實広島市長は「世界中の為政者の皆さん。広島を訪れ、被爆の実相を自ら確かめてください」と平和宣言を読み上げました。
私の手元には平和資料館で購入した本、『広島の復興』があります。被爆直後の惨状のなか、水道や電気、ガス、市電などインフラの復旧に命がけで当たった人びと、また戦後焼け跡の中から工場や商店を復活させ、愛する広島の再建に力を尽くした人びとが描かれています。
改めて、広島そして長崎において原爆の犠牲となられたすべての御霊(みたま)に哀悼の誠を捧げると共に、廃墟の中から雄々しく復興を成し遂げ、合わせて核兵器廃絶を世界に強く訴えてきた両市また市民の皆さまの取組に深く敬意を表するものです。
今回、式典と平和学習に参加された市内中学校の生徒の皆さんも、大変なハードスケジュールの中、よく頑張って学ばれたと思います。
人類の今後の歴史において、3度目の被爆都市が絶対に出現しないよう私たちに何ができるか、深く考えさせられた8月でした。

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