「富岡製糸場・絹産業遺産群の世界遺産登録と本市」(平成26年5月分)

更新日:2020年10月01日

 みなさんおはようございます。5月1日になりました。今月の月いちメッセージをお送りします。
 新年度が始まって1か月。新採用職員のみなさんには慌ただしい日々だったと思います。また、異動したみなさん、より責任あるポジションに就いたみなさんにも、新しい部署での苦労があったかと思います。ぜひ連休中はリフレッシュし、休み明けは、体調管理を万全にして職務に臨んでほしいと思います。
 さて、みなさんもご存じの通り、先日ユネスコの諮問機関であるイコモスは「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録を勧告しました。6月にカタールで開催される世界遺産委員会で、登録が正式に決定されます。登録されると、日本で18番目の世界遺産となり、文化遺産としては14番目、近代産業遺産としては我が国初となります。
 私自身、今回のニュースには深い感慨を覚え、そして大きな希望が見えた思いがします。本市は直接の当事者ではありませんが、私はまず、群馬県をはじめとする関係者の皆さまのご尽力に、心から敬意を表したいと思います。
 実は本市にも、歴史的、文化的な価値の高い絹産業遺産群が点在しています。「競進社模範蚕室」、「旧本庄商業銀行レンガ倉庫」、「高窓のあるかつての養蚕農家の家屋」などがそうです。また、金屋地区にある「稚蚕飼育所」は、現役の養蚕業の施設として今も稼働しています。
 私自身、市長就任後、群馬県の世界遺産登録の動きについて関心を抱き、何とか本市もそれに参画できないか、埼玉、群馬両県の関係者に水面下で打診し模索したことがありました。しかしその時は、すでに群馬県において話は相当進んでおり、一方、埼玉県は行田市が「さきたま古墳群」の世界遺産登録に向けて動いている状況で、両県が歩調を合わせる気運はなく、本市単独で群馬県の動きに参画できる状態ではありませんでした。
 そこで私としては、まず群馬県がリードして行くことを歓迎しつつ、本市としても独自の努力で関わって行くというスタンスが良いだろうと考えたところであります。
 おりしも本市のアクションとして、教育委員会が市内の養蚕の歴史と文化、そして各絹産業遺産群についてまとめた『本庄市の養蚕と製糸』という郷土叢書を平成23年度に発刊しました。この叢書の存在により、いずれ専門家の目がこちらに向いた時「あれ、群馬県だけじゃ無い。本庄市はすごい。これらの史跡は世界遺産の一環に含まれても良いのでは」といっていただける、そう私は確信しています。
 また今回の絹産業遺産群のひとつである伊勢崎市の田島弥平旧宅については、本市と接する島村地区にあるため、本市は伊勢崎市から現在、協力依頼を受けており、できる限りお応えするというスタンスでいます。
 私も以前、群馬県の絹産業遺産群と、本市の絹産業遺産群、深谷市に存在する渋沢栄一ゆかりの史跡をつなぎ、観光ルートの開拓ができないかということを、群馬埼玉にゆかりの深い大手企業の会長に相談したことがありました。会長は大変関心を抱かれたようで、単なる観光でなく、日本の近代化の歴史、先人たちの進取の気性とその努力の素晴らしさについて後世の人々が学ぶ、いわば体験学習的な意味を持たせるべき、とのことでした。私も全く同感です。今般の世界遺産登録勧告で、この動きにも弾みがつくと思います。
 さらに昨年、私は深谷市の小島市長と共に、ある会合の席上、群馬県の大澤知事に両市をPRする機会を得る事ができました。さきほどご紹介した地元ゆかりの企業の会長のお蔭です。
 小島市長は渋沢栄一について熱く語られました。そして私は、本市の絹産業遺産の建造物と本庄が明治期に繭の取引高全国一だった歴史、養蚕技術の向上に大きな功績を残した、今般世界遺産登録勧告を受けた藤岡市の高山社と深い関係のある郷土の偉人木村九蔵の存在などをさきほど申し上げた郷土叢書を差し上げて説明させていただきました。
 以上のように本市としても、独自の絹産業遺産群などの存在を、世界遺産登録のムーブメントの一環に位置付けることができるよう、努力してきたところです。
 これはもちろん地元のPRという意味もありますが、やはり郷土の先人の業績をしのび、学び、もって将来の人々に誇りや開拓精神を伝えていくという、「世のため後のため」の地元からの意義深いアクションだと考えます。今回の喜ばしい出来事を機に、ぜひさまざまな角度から、本市の絹産業遺産などの活用について、より一層の推進を図ってまいりましょう。
 以上で今月の月いちメッセージを終了します。

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