「国」イコール「政府」ではない(平成26年7月分)

更新日:2020年10月01日

 みなさん、おはようございます。7月1日、季節もだいぶ暑くなってきました。どうぞ熱中症には十分気を付けていただきたいと思います。みなさんの体は自分だけのものではありません。ご家族、友人はもちろん、市の職員としてそれぞれ大切な役目を担っているのですから、体だけは大切にしてください。特に夏場には水分補給を、忘れずにお願いします。
 さてそれでは、月いちメッセージをお送りします。今日は、以前から私自身が気になっていたことについてお話します。テレビやラジオのニュースでよく耳にするのですが、政府の動きに関する報道を聞いていると、本来は「政府が」というべきところを「国が」と言っていることがあります。特にネガティブな報道内容の時に多く聞こえるのは私の思い過ごしでしょうか。例えば、「国が押し付けた」とか「国が一方的に決めた」とか「国の責任」とか。みなさんも注意して聞いていれば分かると思います。本来この言い回しは「政府が押し付けた」、「政府が一方的に決めた」、「政府の責任」と報道されるべきところを、あまりに「国が」「国が」の連発で、聞いていて私自身、違和感を覚えます。
 しかし、そう私が言うと「なんで違和感があるんですか。国なんて本来そういうもんじゃないですか」と真顔で言う人がいるのです。まさにこういう発想をしてしまうところまで、今の日本社会ではあまりに「国」と「政府」が混同される、そんな風潮が蔓延していると言えるでしょう。
 本来「国」とは、国土の自然環境から風土、伝統文化や歴史、そして多くの先人の積み重ねの上に成り立ってきた我々の社会の総体を示す言葉として使われるべきであり、我々が不断の努力を重ねてより良くして行くべき、我々の故郷であり母国また祖国、そのものを指す言葉であるはずです。政府批判の際に用いるべき言葉では、本来ないはずです。にもかかわらず「国が」「国が」とあげつらうのは何故なのか。ここで多くは申しませんが、何か偏った思想が見え隠れしているように感じるのは私だけではないと思います。
 一方、どうやら政府の側にも「国が」と言いたがる傾向が昔から強いことも事実であります。「国と地方との協議の場」などと平気で使っています。本来は「政府と地方自治体との協議の場」と言うべきです。確かに国家行政は日本政府が代表しています。ですが、だからといって政府の立場の説明において、あまり「国は」、「国としては」と言われると、何となく「今の政府が過去現在未来の日本の全てを代表しているかのような物言いはやめなよ」と感じるのは私だけではないと思います。「国といたしましては」という政府答弁はよく国会でも聞かれますが、「政府といたしましては」と丁寧に言い換えるべきなんではないか、そう思います。
 振り返って我々の物言いについて考えてみたいと思います。我々も「本庄市が」あるいは「市が」という言葉を、行政職としてあまりに多用してはいないかということです。
 「本庄市」あるいは「市」とは、本来我々の郷土の総体を指す言葉であり、もしも行政の説明のために使う言葉であれば「市役所は」とか「市行政は」というのが本来適切でしょう。「市として決定しました」などという言葉を、自分も平気で使ってはいないか、「市行政として決定しました」と言い換えるべき場面は、これまでにもたくさんあったと思います。
 もちろん、何も私はここで言葉狩りや用語の制限をするつもりはありません。国が、県が、市が、という言葉は行政の説明用語としてこれからも使われるでしょうし、行政そのものを指す言葉として使っていけないとも申しません。私もこれまでも使って来たし、これからも使うでしょう。
 ただ、本来は国も、県も、市も、行政だけを指す意味の言葉ではない、風土や歴史、先人の築き上げた社会といった、大切なよりどころであり、そして我々が子孫によりよきものとして残して行かねばならないもの、そういう意味を持つ言葉であることに思いを致して行きたいのです。
 ですから、これらの言葉、特に「国」という言葉については、一方でネガティブに使おうとする偏った意図に、騙されず、また一方で、国、県、市といった言葉を政治や行政を司る我々が使うときは、そこには一種の謙虚さがあるべきではないか。以前からこのような事を感じていましたが、今日を機会として、みなさんにお伝えした次第です。
 以上で今月の月いちメッセージを終了します。冒頭にも申しました。暑さ対策を十分にして、お仕事頑張ってください。

この記事に関するお問い合わせ先

企画財政部秘書課秘書係
〒367-8501
埼玉県本庄市本庄3丁目5番3号
電話:0495-25-1154
ファックス:0495-21-8499
メールでのお問い合わせはこちら