令和7年度広島平和記念式典等中学生派遣事業を実施しました

更新日:2025年10月31日

広報ID : 20600

令和7年度広島平和記念式典等中学生派遣事業報告

    本庄市は、平成18年10月22日に「非核平和都市宣言」を制定し、平成21年9月1日に平和首長会議に加盟しました。これらに基づき、市では非核平和事業を推進しています。
    この事業の一環として、本年は終戦80年の節目であることから、市内中学校に通う12名の生徒を令和7年8月5日から8月7日に、広島市に派遣しました。広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参列するとともに、広島平和記念資料館の見学や被爆体験講話の聴講などをとおして、被爆の実相や戦争の悲惨さ、平和の尊さを学びました。
    参加した12人の中学生が、本事業をとおして学んだこと、感じたことを紹介します。

本庄東中学校

佐藤 衣哩さん

    私は、今まで「平和」について具体的に考えたことがありませんでした。そして、自分にできることはないと思っていました。今回の平和学習では、「戦争・平和」について自分事として捉えることが大切だと考えました。
    1日目のグループディスカッションでは、班のみんなと「平和でない状態」の定義について考えました。私の班が出した答えは、「見えない問題が積み重なっている状態」です。見えない問題とは、言わないけど心の中で嫌と思うことや人と人の間に競争が生まれることです。そう考えると、私の周りには、平和でない状態がたくさんあることに気づかされました。そして、平和でない状態をすべてゼロにすることは難しいと思いました。でも、少しでも平和に近づけたいと思いました。そこで、私は、平和を築くために自分ができることも考えました。被爆者は「相手を受け入れる」「嫌な人を許すという気持ちを持つ」ことが大事だと言っていました。相手を受け入れることや理解しようとする心が平和へとつながると思います。嫌な人を許すことは難しいと思いますが、相手の心を理解することで、許せるようになると思いました。被爆者の話から平和を築くために自分には何ができるのかが学べました。また、3日間で学んだことを伝えることは私だからできることだと思いました。具体的には、友達、家族に資料館で見たこと、被爆者の話の悲惨さを伝えることや自分たちにできることをやっていこうという呼びかけをすることです。
    また、いつかは被爆者のいない世界が来てしまいます。被爆者は戦争のことを思い出すことも苦しいということが話を聞いて伝わってきました。やっとのことで話してくれた、あの地獄のような出来事を伝え継いでいかなければならないと心から思いました。
    今の私なら自信をもって平和を自分事として捉えることができているといえます。被爆者の思いを私たちのような若い世代が受け継ぎ、二度と日本が戦争を起こさないようにこれからも平和についてみんなで考えていきたいです。

柳澤 莉乃さん

    私は、今回の平和学習で広島を訪れ、戦争と平和について現地で学びました。路面電車に乗り、穏やかな広島の街を眺めながら、かつてこの地が焼け野原だったことを思うと、その景色が全く違って見えました。実際にその場に立つと、教科書や本よりも戦争の悲惨さや苦しみを強く感じました。
    2日目には平和記念式典に参加しました。広島県知事の話や子ども代表の平和の誓いを聞く中で、「one voice」という言葉が心に残りました。これは、たとえ1つの声でも変化をもたらすことができるという意味です。私は、小さな声でも受け継ぎ、次の世代へ伝えていくことで平和の大切さはもっと伝わっていくのだと思いました。
    その後、広島平和記念資料館を見学しました。館内には、変形した弁当箱、溶けたガラス瓶、色を失い穴のあいた被爆者の服などが展示されていました。これらは被爆者が体験した悲しみや苦しみを物語っていました。二度と戦争という過ちを繰り返さないため、私たち若い世代は、戦争があったという過去と事実を伝えていかなければならないと感じました。
    街の中では静かにたたずむ原爆ドームが印象的でした。写真で見慣れていたはずの姿も、実物は迫力と重みが違いました。骨組みや保存工事の跡が残るその姿から、かつての幸せな暮らしが奪われたことを思い、胸が締め付けられました。原爆ドームは「二度と同じことを繰り返してはいけない」と訴えているようでした。
    被爆者の貴重な話を聞く機会もありました。原爆投下直後に降った黒い雨には放射能が含まれており、水を求めて道路にたまった雨を飲んだ人もいたそうです。助かりたいという思いが、逆に命を危険にさらしてしまったことを知り悲しくなりました。
    被爆者の平均年齢は今や86歳を超え、やがて被爆者のいない時代が来ます。被爆した経験、平和の大切さはいずれ風化するでしょう。今回学んだことを、戦争のない平和な世界を築く力に変え、今ある生活に感謝しながら、被爆者の思いを受け継いでいきたいと思いました。

本庄西中学校

棚橋 優花さん

~守りたいもの~

    今回、私は「平和とは何なのか」を考え、自分なりの答えを出す為に広島を訪れました。そして、被爆者の心の声を聞き、原爆について学んだ3日間で、1つの答えを出す事が出来ました。それは、お互いが守りたいものを認めあう、という事です。そう考えたきっかけは、広島での2つの出来事でした。
    1つ目は、実際に広島で戦争について学んでいる時にアメリカ軍側の事実を知った事です。それまで私は原爆について、日本が受けた被害の事にしか、目を向けていませんでした。広島では被爆者の方のお話や資料から、突然未来を奪われた悲しみがより一層伝わってきました。しかし、私は同時に子ども平和サミットで原爆が投下されるまでの事実を初めて知りました。その時、私の中で悪役でしかなかったアメリカ軍にも、祖国の人々という守りたい命があったという事に気づいたのです。広島、長崎の人々がされてきた事は決して許されないことですし、核爆弾の威力を知りながらも原爆を投下したアメリカ軍は、その事実を受け止めなければいけません。しかし同時に、アメリカの人々にも守りたいものがあったという事実を、私達日本人は原爆と向きあう上で忘れてはいけないと私は思います。
    2つ目のきっかけは、被爆者の方の「力の文明より、愛の文明」という言葉でした。広島で私は2人の被爆した方からお話を聞きましたが、この言葉が1番心に残っています。戦争で、人は争い、血を流し、苦しみます。これが力の文明です。なぜそこまでして人は戦うのか。それは「祖国を、大切な人を守りたい」という想いがあるからだと気づきました。そしてこうも思いました。それなら、お互いがお互いの守りたいものを認めあえば、愛の文明を、平和を作りあげる事ができるのではないかと。
    今回の体験で私は、核兵器によって失われるものの大きさを実感し、平和と向きあう事が出来ました。戦争のない日本にいる私達にとって、「原爆」というのは、遠い存在かもしれない。それでも、もう二度と同じ苦しみを繰り返さない為にも、私達は過去の過ちを学び、平和と向きあっていく事が大切だと思います。誰も傷つかない、互いを認めあい、思いあう世界にする為に。私はこれからもたくさんの人と平和を愛し、学び、つくりあげていきます。

柴崎 陽依さん

    今回広島を訪れるまで、原爆はどこか私たちの日常とはかけ離れた縁のないものだという印象が拭えなかった。だがこの平和学習で、原爆は本当に広島の地を襲い、数えきれない人々に悲劇をもたらしたのだということを身をもって感じることができた。
    3日間の中で特に印象に残っているものは、広島平和記念資料館の展示だ。黒い雨と血液が染みついた学生服、被爆された方の写真と亡くなられる直前の言葉、皮膚が焼けてただれて真っ赤になりたれ下がっている人々の絵。目を背けたくなる痛々しい展示ばかりだった。そして、たった1つの原爆によって奪われた無数の命一つ一つに、その人の人生があったことを想像すると本当に胸が苦しくなった。また、展示室を出たところにあったギャラリーで、展示を見終えた人々がうなだれている姿も心に残っている。その中には、涙を流している海外の方もおり、国籍は違くとも感じることは同じなのだと思えた。
    その他にも、被爆された方に当時のお話を伺ったときにおっしゃっていた「なぜ僕たちが生きているのだろうと、そのとき思っていた。」という言葉が頭から離れない。原爆は巻き込まれた方の身体だけでなく、生き残った方の心も追いつめる兵器なのだった。
    全世界にはまだ1万2000個におよぶ原爆が息をひそめている。だが、決してもう二度とこの悲劇をくり返してはいけない。そのために私は、世界中のすべての人がこの地に起こった出来事を知り、原爆について考えるべきだと思う。資料館で涙を流していた海外の方がいたように、当時の人々の苦しみに正面から向き合えば、どんな国の人であろうと同じ感情を共有できるはずだ。多くの人がこの悲劇に向き合って考えられるように、まずは私がこの3日間で感じたことや学んだことを周囲へ伝えていきたい。そして、苦しい記憶を私たちに話してくださった被爆者の方や、原爆によって亡くなられた方々の苦痛が、風化されることのない世界を築いていきたい。

本庄南中学校

佐藤 さらさん

    私は、広島を訪問した3日間を通して、様々な視点から「平和」について考えることができました。
    この3日間で特に印象に残っているのは、2日目に行った広島平和記念資料館です。今までのように、話を聞いたり映像を見たりするのではなく、原爆が投下された時に爆心地にあったものを実際に見ることができました。何着も何着も並べられた焼けた服を見ては、これらの持ち主はみんな亡くなってしまったのだということが信じられず、全身をやけどした人の写真を見ては、人間がこんなに黒く焦げてしますことがあり得るのかと思いました。普通なら信じられない、あり得ないようなことを、原爆はたった1つで引き起こしてしまうのだと改めて思い知らされました。
    この日はこの他にも、平和記念式典に参加したり、全国こども平和サミットで被爆体験記や詩の朗読を聞いたりしました。平和へ向けて行動することの大切さや、被爆者が減少していくなか、体験記や詩の朗読によって原爆というものを後世に伝えていくことの必要性を感じることができました。
    また、1日目と3日目も様々な経験ができました。
    1日目で印象に残っているのは、被爆した方のお話を聞いたことです。原爆が投下された時の出来事をとても細かく話してくださり、自分の中のイメージをよりしっかりさせることができました。平和になるためには、「思いやり」を持ち、「許せる心を持てるようきたえ」、「うらむのではなく協力」することが大切で、「国を守るための平和はあり得ない」というお話に、平和を作り上げ保てるかどうかは、私達一人ひとりの精神にかかっていることを学びました。
    3日目は「てつのくじら館」へ行き、海の平和を守る海上自衛隊の中で命をかけて機雷の解体作業を行ってきた方々の歴史を学ぶことができました。一歩間違えれば自分が死んでしまうかもしれない、実際に亡くなってしまった仲間がいる状況で、それでも安全に海を使えるようにするために努力してきた方々の勇気や思いに胸が熱くなりました。そして、もう誰かが平和のために命を懸けるような状況を作ってはならないと強く思いました。
    私はこの3日間を通して、原爆は絶対にこの世に存在させてはならないものだと思いました。また、「平和」を作り上げることは決して簡単ではありませんが、これ以上理不尽に苦しめられ、亡くなる人が出ないよう、一刻も早く実現させなければならないとも思いました。今回の経験を多くの人に伝えることで、1人でも多くの人に広島や長崎に訪れてもらい、平和の尊さを感じて欲しいです。

高橋 萌亜さん(注釈:「高」ははしご高)

~広島派遣事業を終えて~

    私は8月5日から7日まで、中学生派遣事業で広島を訪れました。
    初日は被爆者の方から体験講話を聞き、その後「全国平和学習の集い」に参加しました。この集いでは全国の中高生とグループディスカッションを行いました。テーマは2つあり、1つ目は「私たちの地元では、第二次世界大戦中にどのような被害を受けたか」。2つ目は「今、平和でない状態とはどのようなことか」でした。話し合いを通じて、食糧不足や東京大空襲など地域によって戦争被害がさまざまだったことを知りました。
    また、平和でない状態とは戦争だけではなく、差別やいじめも含まれるという意見が多数あげられており、自分の生活とつなげて考えるきっかけにもなりました。
    そして、被爆者の方からの体験講話では、原爆が落とされた日からの苦しみ、体全体が真っ黒になり、皮ふがふくれあがり、やけど全体にうじ虫がいたなど、聞いているだけでも耳をふさぎたくなるような悲惨な内容でした。
    2日目は平和記念式典に参加しました。毎年テレビで見てきた光景でしたが、実際に参加し間近で見る事で、その厳粛な雰囲気にとても緊張しました。今回参加できたことは、自分の今後の考え方に大きな変化をもたらすと思います。式典の後は、原爆ドームや広島平和記念資料館、公園内を見学しました。写真や映像で見ていた場所も実際に立つと、その場の空気や重みや想像していたものとは全く異なり、胸に深く刻まれました。資料館では被爆者の写真や遺品を通して、時に目を逸らしたくなるような展示物もあり、戦争の恐ろしさを痛感すると同時に平和の尊さを強く感じました。
    今回の訪問を通して、広島の方々にとって戦争は過去の出来事ではなく、今もなお深い爪痕を残しているのだと実感しました。また、広島の方々の思いを全国に、そして未来の世代へ伝えていくことの大切さを学びました。私自身もこの経験を忘れず、身近なところから平和を守る行動を心がけていきたいです。

児玉中学校

巻田 千穂さん

    この3日間は、宝物の時間となりました。実際に見、聞き、肌で感じた衝撃は想像を超えるものでした。1945年8月6日の日と共に、大切にしていきたい特別な日となりました。
    あの惨劇から80年後の今も、世界で争いは止まず、混迷は深まり、ついに核兵器の脅威が再び迫る事態となっています。歴史や過去から学び、未来に生かす使命を持つ私達は、平和のバトンを受け継ぎ、核兵器のない、誰もが安心して幸せに生きられる世界を作っていかなくてはなりません。そのためにできることは何か、すべきことは何か、見つけられたらと思いながら、初めて広島の地を踏みました。あの日もきっとこんな日だったのではないかと思うような澄みきった青空と射る日差しに、一瞬で全てを奪われる恐怖が浮かび、胸がつまりました。緑と川と海に囲まれた街は、あの恐ろしい悲劇があった場所とは思えない程、大きく美しく輝いて見えました。不屈の思いと、平和への思いがエネルギーとなり、街中に満ちているように感じられました。
    午前8時15分、平和記念式典で沢山の人々と黙祷を捧げ、“過ちは繰り返さない”と、共に誓わせていただき、そして原爆ドーム、折鶴にいろどられた原爆の子の像を目にし、言葉にならない思いでいっぱいになりました。平和記念資料館では正視が辛くてたまりませんでした。悔しさや怒り、悲しさや色々な気持ちが体中に充満し、心の奥底から、戦争も核も絶対にだめだ!!という思いが噴き上がってきました。
    「核の恐ろしさを世界の人はもっと知っていかなくてはなりません。」
と、私達一人ひとりがよく知ることの大切さを被爆体験講話で聞かせていただいたことが思い出されました。また、映像視聴、詩の朗読、活動発表等、様々な学習を通して、平和への思いが高まるのを感じました。そして最後に頂いたメッセージが胸に刺さりました。
    「これからもヒロシマで得た『平和の心』を広く伝えていってください」
    未来を託された気がしました。いつまでも自分の中で輝かせ、周りに広げていきたいと思いました。これから、挨拶や思いやりなど身近なことから、しっかり取り組み、人と人とのつながりを大切にして、『平和の心』を守り育てていきたいと思います。この学びを必ず活かします。
    このような機会を与えて頂き、感謝でいっぱいです。また、最初は不安でしたが、皆さんのおかげで安心して3日間過ごすことができました。本当に有難うございました。

岩崎 紗優心さん(注釈:「崎は立つ崎」)

~広島へ行って~

    今回の3日間の広島の平和事業に参加したことで、多くの経験が得られ、考えが大きく変わりました。
    私が特に印象に残ったことは、1日目の平和学習の集いで行われた被爆者の方からの話です。原爆がいつ、どこに落ちたのか、原爆とは何かなどは、ネットを使えば多くの情報が入ってきますが、私たちは原爆を受けた痛みや喪失感を理解することはとても難しいことです。しかし、被爆者の方たちが感じた思いを言葉に表したものやその事実を繋いでいくことはできます。1人の力では、その声を届けることは難しいと思います。だからこそ、1人の声を、みんなの声を何倍にも大きく広げることのできるメガホンのような人が大事だと思います。誰かが一歩を踏み出す勇気を、きっかけを与えられる人になりたいと強く思いました。
    また、広島原爆投下から華々しい成長を遂げた広島の最大の要因は「許す心」だと教えてくださいました。落としたアメリカと落とされた日本。それぞれが互いを理解し、寄りそうことで、この広島で起きた事実を最大の教訓とし、心に留めて置くことで、精神を持ち込し、前を向くことができたと言います。互いに成長する1番の鍵は、「許す心」だということに気づかされました。
    私たちの身近なところでも「許す心」は大切です。必ず誰しも嫌いな人、苦手な人が居ると思います。けれど「嫌い」という感情は、自分から見た相手への評価から来るものです。そこで、一度相手を私情を挟まずに見てみると、新しい相手と自分に出会えると思います。それでも好きになれない人も必ず居ると思います。ですが、マイナスの気持ちを循環させると、自分にもマイナスの気持ちが返ってきてしまいます。自分も相手も幸せになるためにも、相手を許し、幸せの輪を広げていくことが大切だと思いました。
    広島の学習で学んだ「許す心」などの多くの教訓を私たちも繋いでいけるよう、声を大にして伝えていきたいです。最後に被爆者の方の言葉を借りて、「力の文明より愛の文明」を目指していけるようにしたいです。

本庄第一中学校

島村 優希さん

    私が1番心に残っていることは、平和記念式典の後に行った資料館です。資料館には、被爆された方たちのボロボロの服や、私物品、その当時使われていた自転車など、どれも言葉にできないほど衝撃的なものが並んでいました。一緒に並んでいた人も黙然と展示物を見つめていたのが今でも目に焼き付いています。私はその資料館に行って、原爆のことについて深く考えてみました。
    まず原爆とは、原子核が分裂する際に放出されるエネルギーを爆発力として利用されたものです。爆弾との違いに関しては、規模の大きさの違いです。原爆がもたらす強力なエネルギーは広範囲に広がり、甚大な被害をもたらします。なので、8月6日、広島に落とされた原子爆弾は、大人でも、子供でも、老人でも、警察でもなんだろうが、一瞬で消されてしまったのです。そんな無差別に人を消してしまう原子爆弾はとても恐ろしく、醜く、作ってはいけないものなんだと実感しました。
    そして私は、その原子爆弾を今後、作らない世界にするために今、私達ができることは、なんだろうかと考えました。世界で戦争が起こる原因の1つ、「差別」というもの。私は差別をなくすことが平和につながるのではないかと思いました。差別というものは中学生たちの間でもよく聞く言葉ですが、ちょっとしたことでも大きくなり、深い境界線を生んでしまいます。そんな差別をなくすためには、一人ひとりが相手の身になって考えて言動をしたり、自分の考えと異なる考えが挙げられたとき、そういう考えもあるのだなと心に留めておくことが大切だと思いました。ですが、世界では宗教や移民、国籍などでの境界線が根強く残っています。その境界線をなくすことはすごく難しいことであり、差別というものがあるのも、その境界線が関わっているものがたくさんあります。そのために私は、これからの子どもたちにも戦争への深い思いを受け継ぐために、多くの人にこの体験のことを伝えられる人になりたいと思いました。

平原 風花さん

    私は広島訪問を通じて心に残っていることが3つあります。
    1つ目は1日目に行ったグループディスカッションです。全国各地の学生の方と交流し、戦争について調べたことや、平和とはどういうものか、意見を出し合いました。地元の被害を調べ、伝え合う場面では、爆弾投下以外の被害を受けた県もあることを知り、驚きました。平和について話し合うときは、新しい視点からの意見を聞くことができたので、とても良い経験になりました。
    2つ目は広島平和記念資料館です。資料館の中では、大火傷を負った方の写真や、後遺症や熱線を浴びた影響で人の原型を留めていない姿、被爆者の遺品など、見ていて苦しい気持ちになるようなものがたくさん展示されていました。写真に写っていた広島の街の景色は、日本とは思えないほどの悲惨さで、原爆の及ぼす被害がとても大きいことを実感しました。
    3つ目は被爆者の方のお話です。3日間で2人の方の被爆体験談を聞くことができました。何が起きたか判断もできないほどの早さで、母親や兄弟、友人の命を奪われてしまった被爆者の話は聞いていて胸がいっぱいになりました。水を求める絵や、原爆直後の服がボロボロになり、地面に倒れ込む様子が見られる写真は、見ていて辛い気持ちになりました。
    「歴史は繰り返す」という言葉を耳にすることがよくあります。ですが戦争は絶対に繰り返してはいけません。戦争の記憶を風化させないためには、一人ひとりが「戦争を繰り返してはいけない」という意識をもつことが大切だと思います。
    私にとってこの3日間は世界や平和について考えることができた大切な時間でした。こうして日本全国の学生のみんなと話し合うことも、平和につながる第一歩なのだと思います。この経験を無駄にすることなく、家族や友人に伝えていこうと思います。
    最後に貴重な経験をすることができたことができて本当に良かったです。また広島を訪れたいと思います。

本庄東高等学校附属中学校

阿部 奏叶さん

~平和とはなにか…?~

    僕が今回の広島派遣事業を通して数多くの学びと知識を得ました。中でも衝撃を受けたことを2つ紹介します。
    1つ目は被爆者から聞いたお話です。2人の被爆者から話を聞き原爆の恐ろしさを学びました。1つは原爆被害の元となる爆風、熱線、放射能についてです。広島原爆のエネルギー内訳は爆風約50%、熱線約35%、放射線約15%とこの3つが大部分を占めています。まず爆風の被害では半径2キロメートル以内の木造家屋はほとんど破壊されました。その他にも爆風によるガラス被害も多く、今回話を伺った内の1人は母の眼球や全身にガラス片が刺さり亡くなったそうです。熱線、放射線被害では熱線により2、3キロメートル離れていても火傷を負い全身がただれました。放射線は初期放射線と残留放射線の2つがあり中でも残留放射線はみなさんもよく知る黒い雨として人探しや救護に行った人を殺しました。そして聞いていて 1番驚いたのは運が生死を分けた事です。1人は姉と自分どちらかが亡くなる状況で生き残り、もう1人もたまたま工場が休みで助かりましたが、1個下の後輩達は全員亡くなるほど些細な事で生死が分けられていて驚きました。
    2つ目は2日目の平和記念式典と広島平和記念資料館です。式典では自分より小さい小学生が平和に向けて堂々と話していたり、たくさんの人々が献花に訪れていて心が締め付けられました。しかし今年で戦後80年経ち式典にも120もの国が参加し平和を祈っていて少しずつ平和に向かっていると感じました。資料館では被爆者から聞いた物が実際にあり、服や死亡証明書、教科書でよく見る影の写った石などが当時のまま展示されていてより詳しくそして戦争の残酷さをひしひしと感じました。僕はこの研修に行ったおかげで、家族旅行では決して学ぶことのできない多くのことを学び体験できました。最後に平和な世界を作るためには物理的ではなく精神を大事に過ごす事が大切だそうです。みなさんもこれからの生活では自分の心を大切に過ごしてください。

長谷川 有里さん

~広島で学んだ平和の大切さ~

    
私はこの夏、「本庄市広島平和記念式典等中学生派遣事業」に参加し、広島で平和について学ぶ貴重な機会をいただきました。全国から集まった中学生たちとともに、「平和とは何か」、「戦争とはどんなものだったのか」について深く考える3日間を過ごしました。その中でも、最も心に残っているのが、8月6日の広島平和記念式典への参加です。
    当日、会場の広島平和記念公園は、朝早くから多くの人々が集まり、とても静かで厳かな雰囲気に包まれていました。そして午前8時15分。ちょうど80年前、原子爆弾が投下されたその時間に、「平和の鐘」が鳴らされました。
    その音はとても静かで優しいのに、心に重く響きました。私は目を閉じ、黙祷を捧げながら、「ここで本当にたくさんの命が奪われたのだ」という事実を強く感じました。教科書や映像では決して伝わってこなかった、命の重さ、平和の尊さが、その鐘の音とともに心に染み込んでいきました。
    この事業では、式典の前日に行われた「全国平和学習の集い」にも参加し、被爆者の才木幹夫さんのお話を直接聞くことができました。才木さんは、当時13歳。爆心地から2.2km 離れた自宅で被爆されました。「真っ白な光を見た」「一瞬で何もかもが変わった」と語られた言葉は、重く、深く胸に響きました。
    人や家族を失い、「なぜ自分だけが生き残ったのか」という思いに苦しんできたことも率直に語ってくださいました。そのお話を聞いて、私は「戦争は命だけでなく、人の心までも深く傷つけるのだ」ということを、初めて実感しました。
    また、広島平和記念資料館では、原爆で亡くなった方々一人ひとりの人生に触れることができました。さらに訪れた原爆ドームでは、爆心地からわずか 160メートルの距離に残された建物の姿を目の前にして、「本当にここであの出来事があったんだ」と、胸が締めつけられるような思いがこみ上げてきました。
    今もなお、世界には1万発以上の核兵器が存在し、戦争や対立が続いている地域もあります。でも、私たちはそれを「どこか遠い国の話」として済ませてはいけないのだと、この体験を通じて強く思いました。
    過去の出来事は、今を生きる私たち一人ひとりに関係しています。そして、未来をどうつくっていくかも、私たち一人ひとりの意識と行動にかかっています。
    今回の体験を、私は忘れません。そして、ここで学んだこと、感じたことを、まずは自分の周りの人に伝えていきたいです。平和について考える時間を、これからもずっと大切にしていきたいと思います。

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