木村九蔵
木村九蔵「1845年~1898年」
上州緑埜郡高山村に生まれた九蔵は、幼少の頃より養蚕に興味を持ち、蚕を飼育して養蚕の研究に励んでいました。23歳のときに児玉郡新宿村で木村家を再興し、研究をすすめて火力を用いて病蚕を防ぎ、飼育日数を短縮する飼育法「一派温暖育」を発表します。
明治10年には養蚕改良競進組を結成。同14年に繭の改良品種「白玉新撰」の発表を行い、同17年には組織を改めて競進社とし、児玉町に事務所と伝習所を開設します。同24年には本庄町に日本蚕種貯蔵株式会社を設立し、同27年には伝習所内に模範蚕室を建設しました。
その後、児玉白楊高等学校(現 児玉高等学校)の前身とも言える競進社蚕業講究所を設立するなど、生涯をかけて養蚕業や蚕業教育の発展に尽力しました。
更新日:2024年02月29日