原始・古代(本庄地域)
本庄地域には、180箇所に及ぶ遺跡が分布している。
発掘調査で出土した遺物の数々。
それらは、遠い過去からのメッセンジャー。

全国唯一、 大耳しゃくれあごの盾持人物埴輪
(前の山古墳)

本庄最古の遺物は、小島石神境遺跡と西五十子田端屋敷遺跡で発見された、今から約15000年前の旧石器。本庄に最初にきた人々は、信州の和田峠付近で産出する、黒曜石製のナイフ形石器を、その証として残していった。

市内で最も多い遺跡は、古墳時代から奈良・平安時代のころ。旭・小島古墳群や大字西富田の遺跡からは、1500年前に奈良で流行した形の土器が出土している。

市内には、かつて200基近くの古墳があった。小島三杢山古墳は、全国第20位(約20万基中)の超大型円墳だった。また、北堀の公卿塚古墳からは、全国で5ヵ所しか出土していない、珍しい技法の埴輪が発見されている。小島御手長山古墳から出土した坊主頭の人物埴輪は、市指定文化財。そして、近くの前の山古墳からは、全国唯一の大耳でしゃくれあご、歯を表現した盾持人物埴輪が発見されている。

奈良・平安時代。市内の大半は児玉郡となった。市内の西北は賀美郡である。このころより人々は、漢字をつかいはじめた。下野堂開拓1号墳から出土した帯金具は、当時の郡役人層が身につけていたもの。銅製金具の裏側に「大」と文字が刻まれていた。これも全国唯一の例である。

平安時代にはいると、庶民の間にも漢字を書くことが広まる。西富田薬師元屋舗遺跡から出土した紡錘車には「武蔵国児玉郡草田郷戸主大田部身万呂」と線刻されていた。ここが、平安時代の書物『和名抄』にも記録されている草田郷という村の一部であることが判明。また、東五十子田端屋敷遺跡より出土した紡錘車には、「大里」「工」など20数文字が刻まれていた。いずれも、全国的に稀な出土文字資料である。
注意:ワンポイント 紡錘車とは、糸をつむぐとき、糸巻きの心棒の回転にはずみをつけるためのおもり石のこと。
更新日:2020年10月01日