塙保己一ゆかりの文化財

更新日:2021年05月28日

塙保己一の生まれ故郷である本庄市には、塙保己一ゆかりの文化財が多く残されています。
塙保己一が生まれた児玉町保木野地区には、塙保己一の生家(国指定文化財)や墓、子どもの頃に遊んだ龍清寺、没後100周年記念碑などがあります。
また、塙保己一記念館には、塙保己一の母手縫いの巾着などの遺品や埼玉県指定文化財の関係資料などがあります。

塙保己一の里

塙保己一の里の看板

塙保己一が生まれた児玉町保木野地区は、「塙保己一の里」としてゆかりの文化財があります。

塙保己一旧宅(国指定文化財)

塙保己一旧宅

塙保己一旧宅

塙保己一が15歳まで過ごした生家で、茅葺き入母屋造りの二階建て住宅です。屋根の茅は、四方を大きく切り上げた養蚕住宅となっています。
この旧宅は、塙保己一の父宇兵衛の代に建てられたと伝えられています。建築年代は、塙保己一の生まれた延享3年より少し遡りそうで、桁行7間半、梁間4間の規模を持ち、内部は三室広間型の平面形を持つ江戸中期の上層農家形態がうかがえます。

注意 旧宅内は一般公開していません。

塙保己一旧宅正面

塙保己一旧宅正面

塙保己一旧宅平面図の看板

塙保己一旧宅母屋平面図

塙保己一の墓と記念碑

塙保己一公園

塙保己一公園

塙保己一旧宅の西側には、塙保己一の名を冠した公園「塙保己一公園」があり、公園内には塙保己一の墓があります。
塙保己一は、文政4年(1821)、9月12日に76歳で死去しました。没後、江戸四谷の安楽寺に葬られましたが、後にこの寺が廃絶したため、明治31年(1898)に隣接する愛染院に改葬されました。その時に、墓の土を郷里の保木野に持ち帰り墓が建てられたといわれます。

現在、墓は塙保己一公園内に移転し、墓の隣には、渋沢栄一題字の塙保己一没後百周年記念碑があります。

塙保己一の墓

                塙保己一の墓

塙保己一没後100周年記念碑

塙保己一没後100周年記念碑

龍清寺の不動堂とカヤ(市指定天然記念物)

龍清寺

龍清寺

旧宅の北側には、子どもの頃遊んだ、龍清寺があります。境内には龍が空に飛び上がるような形をした古木のカヤ(飛龍のカヤ・市指定天然記念物)があります。その南側には母が保己一の病気が治るようにとお参りした三日月不動と呼ばれるお堂があります。

三日月不動とカヤの木

三日月不動堂

飛龍のカヤの木

飛龍のカヤの木

實相寺

實相寺は、塙保己一が生まれた荻野家の菩提寺です。
實相寺には、検校塙保己一が寛政12年(1800)に奉納したローソク立て(燭台)が残されています。
このローソク立ては、若くして江戸に出て、多忙な毎日に追われ、郷里保木野に帰るできなかったが、実家のこと、ご先祖様のことなどを心配していた塙保己一が、「暗闇の中でも灯りは誰の心にもへだてなく希望を与えるものだ」と考え、また、子どもの頃から目が見えず、「明るさ」への気持ちを考えて、このローソク立てを奉納したといわれます。このローソク立てには両親の戒名が刻まれており、両親の菩提を弔うためであったと思われます。

實相寺
實相寺堂内

江戸に向かう塙保己一像

塙保己一旅立ちの朝像

塙保己一少年像

本庄早稲田駅北口前には、塙保己一の少年像が建立されています。
この像は、15歳で希望を胸に故郷から江戸へ向けて旅立つ塙保己一の姿を表したものです。

塙保己一ゆかりの文化財ガイドマップ

本庄市内には、塙保己一記念館をはじめ、さまざまなゆかりの文化財があります。
文化財ガイドマップとともに、文化財めぐりを楽しんでみてはいかがですか。

塙保己一ゆかりの文化財マップ

塙保己一ゆかりの文化財マップ

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会事務局文化財保護課文化財保護係
〒367-8501
埼玉県本庄市本庄3丁目5番3号
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ファックス:0495-25-1193
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